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 揚州鏡伝説以外にも、唐代には大量の照妖鏡に関する神話伝説があった。神話は二種類に分けられる。一つは、神奇なる鏡の物語、もう一つは鏡を用いて妖魅を駆除する物語である。


 奇鏡の描写は、神化した鏡の巫術意識をある側面から表現したものである。唐代、あるいはその少しあとの筆記小説は、この種の神奇的な鏡にたびたび触れる。

済南方山山南によく鬼魅を照らす鏡石があった。山神はこれがみだりに照り輝くので、漆を塗った。

長安の任中宣家は飛鏡を持っていた。のちにこの鏡は洞庭湖の湖畔で翼もないのに飛んでいたという。

 葉法善は何枚か照病鏡を有していた。それはよく内臓や病源を映し出すことができた。

 唐徳宗貞元年間、蘇州太湖の漁師が一枚の照臓古鏡を掬い上げた。鏡に照らされた者は昏倒し、嘔吐した。その後も病は治りがたくおのずと癒えることはなかった。

 唐穆(ぼく)宗長慶年間、漁師は秦淮河から一枚の腑臓を照らすことのできる古銅鏡を拾い上げた。鏡を照らした者は恐ろしくなり、またも鏡を川に落としてしまった。李徳裕は人を川に潜らせて探したが、見つからなかった。

 唐懿(い)宗咸通年間、金陵秦淮の漁民が古鏡を発見した。心腑を照らして見ることができ、漁民は驚き、不安になった。揺れる舟に乗って河口にまで出て、鏡を大河に向かって投げた。

 南唐王は六鼻鏡という鏡を持っていた。千里離れた場所のものを照らして見ることができた。

 裴岳(はいがく)は古鏡を持っていた。その友于左揆(うさき)が鏡を照らして見ると、朱色の衣の官吏が呼ばれたあと、人が群がる光景が見えた。それは于氏が後日大臣の位に就くことを予知していた。

 宋璟(そうけい)は若い頃鏡の中に「相」の字を見たが、はたしてのちに宰相になった。