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宋代から明清代まで、鏡の駆邪は慣用として術士がおこなう法術だった。宋徽宗のとき、大巫王老志は「乾坤鑑法」を献じた。徽宗はこの法を鋳るよう命じた。乾坤鑑の鋳造が終わったあと、王老志は徽宗に奏上した。
「皇帝皇后は危難のもとにあられます。つねに乾坤鑑のもとで沈思黙考し、警戒心を保持し、もって災いを消していただきたい」
明代蘇州城に無業遊民の張皮雀という者がいた。かつて術士胡風子に学んだことがあり、墨を鏡に塗る方法で雲を興し、雨を降らせることができた。
清代の北方少数民族の薩満(シャーマン)もまた小鏡を常備の法器とした。
「その法のもっとも異なるのは、室内で馬の舞を舞い、鏡を飛ばして祟邪を駆逐し、鏡によって疾病を治すことだった。全身にこれをこすりつけ、患部があれば肉に食い込んで抜けなくなり、これが激しく震え、関節がみな鳴り出すと、病が去っていく」
民間の伝説では「妖人」が小鏡を用いて他人の財物を映し出すという。「光緒八年、妖人が多数を率いて詐称を働き逃げ出した。(……)男女の頭目はそれぞれ卜財鏡という名の小鏡を持ち、人の家に至ると傘や笠で人の耳目をふさぎ、鏡に映しだし、財物がどこにあるかを知った。隠形法によって財物を手に入れたのである。
明鏡駆邪術は古代医学、古代文学創作、古代人の生活法式に多大な影響を与えてきた。『医心方』巻二十五に引用する『竜門方』に言う、鏡を床下の柱に掛けるだけで子供の夜泣きを治すことができると。
『本草綱目』巻八に引用する陳蔵器によれば、「水に古鏡(銅鏡)を投げ入れて煮沸する。出てきた銅の成分と諸薬をいっしょに煮る。その汁を飲めば、てんかんやその他邪気が入って起こす子供の病気などは治る」。もし古鏡に銘文があり、字体が古ければ古いほど効果がある。
また『大明会典』に言う、古鏡は一切の邪崇を避けることができると。なかでも女人鬼交、飛尸蠱毒、難産、突発性心臓痛を治療することができる。
もし虫が耳や鼻に入ってきたなら、耳や鼻の周辺を古鏡で叩くだけでいい。虫は自ら出ていくだろう。
李時珍は結論づける。「鏡の金水の精は、内に明るく外に暗い。古鏡は剣のごとく、もし神明があれば、邪魅を避け、悪にさからうことができる」。
彼はまた先人の古鏡の医方を補充し、古鏡の煮汁を服用すれば小児ヘルニアおよびその膨隆を治すことができる。