第2章 23 厭勝銭の作り方と使い方
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貨幣というものが出現して以来、持てる者である支配者、抑圧者が巨大な能力を有し、人類の歴史上、それが天使と悪魔の二役を演じてきた。貨幣はすべての神霊以上に崇拝され、ひれ伏されてきた。
晋人魯褒の名風刺文『銭神論』に言う、「銭の形を見ると、天地(乾坤)をかたどっている。なかなか折れない(壊れない)のは、寿命のようだ。無尽蔵にあるのは道のようだ。ゆえに長い間それは命脈を保ち、ゆえに世の宝となる。親しいこと兄のごとく、字(あざな)は孔方(中央に方形の孔が開いていることをかけている)、失うとすなわち貧弱になり、得るとすなわち富貴となる。翼なくして飛び、足なくして歩く。厳しい顔をゆるめ、黙して話さないその口を開く。銭の多い者は前に出て、少ない者は後ろに下がる。前に出た者は主となり、下がった者は下僕となる」と。
またつぎのように言う、「銭は泉(水の流れのごとし)と呼ばれ、遠くにまで行かず、人がいないところまで行かない。人を危うくさせるが(銭は)安泰で、人を死に至らしめるが(銭は)死ぬことはない。(銭は)高貴で(人を)いやしくさせる。(銭は)生き、(人を)殺すことができる」と。
この銭を神のごとくみなす観念は晋人特有のものではなく、現代にいたるまですべての拝金者の共同認識である。
『銭神論』は当時のことわざ「銭には銭以外何もないが、鬼神をも使うことができる」について述べている。それは「銭があれば鬼に臼を挽かせることもできる」ということわざの原型である。銭(硬貨)は神に通じ、鬼を使うこともできる。鬼を使うことができるということは、鬼怪を制圧する力を持っているということである。ここから類推すれば、銭(硬貨)は邪悪なものを辟除するすぐれた霊物(霊異あるもの)ということである。