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 専門の製造所で作った厭勝銭が流行する前、辟邪目的で普通の硬貨を身に付けるという段階があった。資料が少ないことから、この段階の状況はあまり知られていない。除鬼辟邪(鬼を駆逐し、邪を避ける)を専門とする霊物性の厭勝銭は、漢代から見られるようになった。

後世にまで伝わった五銖銭のなかの一部の硬貨の表には、「君宜侯王」「脱身易宜子孫」の文字が刻まれていた。「君宜侯王」「宜子孫」は漢代の器の銘文によく見られる吉祥のことばである。「脱身易」の「易」は「傷」の借字であり、各種悪性のできものを指す。この五銖銭はあきらかに圧伏邪崇、除凶致吉をとくに目的として製作された。

後世に伝わった漢代硬貨のなかには、「千金銭」「辟兵銭」と呼ばれるものもある。千金銭の表面には「日入千金」の銘が、裏面には「長毋相忘」の銘が刻まれている。なかでも「長毋相忘」は漢の瓦当、漢の銅鏡に頻繁に用いられていて、当時流行していた吉祥のことばであることがわかる。辟兵銭の表面には「辟兵莫当」、裏面には「除凶去央(殃)」の銘文があった。どれも漢代は常用されていた吉祥文である。辟兵銭の銘文はこれが巫術的性質を持っていることを反映している。

 千金銭、辟兵銭、両方とも形式は似ていて、上に柄がつき、下に杯がつく。これは身につけるものなのである。剛卯が印章と似ているようで、かえって実用的でなかったように、厭勝銭も銭と呼ばれながら、実用性が乏しかった。貨幣としては役にたたず、厭勝のみが役に立った。この厭勝物は銭の形に鋳られたが、それは金銭と同様に制鬼駆邪の力を帯びることを願ったのである。