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巫術中の煙薫法について見てみよう。煙薫、火祓の両種法術は密接な関係にある。ただしどこに重点を置くかはそれぞれ異なる。
『呂氏春秋』「本味」に言う。「湯(商開国の王)伊尹を得る。廟にてこれを祓い、葦で薫(いぶ)し、火を挙げてたいまつとし、雄ブタでこれを衅(きん)すなわち血祭にする」[伊尹は夏末商はじめの政治家、元帥]。たいまつを重点的に照らし、葦を重点的に燻し、また両方に点火し、燃やす。それらをうまく組み合わせる。
戦国時代、城を攻める者が「穴攻法」を開発している。すなわち城の地下にトンネルを掘り、城内に入る直通の道を作る。兵士らは城の中心部に入り、一挙に占領する。
それに対し城を守る側は煙薫法を開発している。城内に地下道を掘り、敵のトンネルと接続する。そして木炭、穀糟(もみがら)、柴草に火を着け、牛皮袋の送風器を使って煙を送り、敵を穴の中でいぶし、撃退する。
戦争をしている間、頻繁に煙薫法が使われると、当然のごとく邪悪なる巫師はそれを利用して、薫鬼法術の威力を信じ込ませようとするだろう。
秦簡『日書』「詰篇」はたびたび煙薫法に言及している。そのなかでも牡棘の巫術効用と汚穢駆邪術に少し触れておこう。牡棘と牲矢はどちらも辟邪霊物(魔除け)である。またそれらを焼いて出した煙で鬼を駆逐するという意味もある。
「詰篇」は言う、遊鬼はつねに部屋に入ってきた人にまとわりつくので、たいまつの火でそれらが近づかないようにしなければならないと。鳥獣はつねに家の上でわめき叫んでいる。これを制止するには、鳥獣がいた場所で人の鬢髪や六牲の毛を燃やす。部屋一杯に人がいるとき、体が痒くなることがある。これは厲鬼が怪をなしているのである。このときは室内で新鮮な桐の木を燃やす。すると怪異はやむ。
煙で鬼を燻す法は長い間おこなわれてきた。三国時代、元旦には「門前で煙火が作られた」。これは煙でいぶすとともに、火の明かりをつける役目があった。
のちに春節になるたびに煙花(花火)が上げられたが、伝統的に各種煙花は煙火と呼ばれた。この習俗の源をたどると、秦代以前の煙火駆鬼術にたどりつく。
ほかにも、古代の医士は巫術的な煙薫法によって疾病を治療した。たとえば「庚辰の日、門の外で鶏犬の毛を取り、これを焼いてかすかな煙を出せば、疫病を避けることができる」といったふうに。あきらかに伝統的な薫鬼法のバリエーションである。