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 最初爆竹は山鬼専用に用いられてきた。東方朔選『神異経』「西荒経」に言う、「西方の深山に人あり。身長は一尺余り半裸で、エビやカニを捕っていた。人を畏れず、人が宿に泊まるのを見ると、暮れてからエビ、カニを炙った。人が不在だと、塩を盗んでエビ、カニを食べた。名を山臊(さんそう)といった。自らそういったのである。

人が火の中に竹を置くとすさまじい爆発音がして、臊はみな驚愕した。これによって(爆竹によって)人は寒くも熱くも感じた。人の形をしているとはいえ、変化し、鬼魅の類となり、今は山中にいる。

『神異経』には異本が多く、ある版本には、山臊は一本足、すなわち独脚だと述べている。このことから、『神異経』の山臊が古代文献でおなじみの独脚山鬼、つまり(き)であることがわかる。山鬼には異名が多い。段成式『酉陽雑俎』「諾記下」が紹介するのは、山臊以外に、山繅、山魈などおなじみの名前だ。山鬼は山簫、山魅、山駱、蛟あるいは(べつ)、濯肉、熱肉、暉(き)、飛竜、治鳥とも称す。これらの異名は、人々の山鬼に対する迷信を反映している。

静寂な山林に響く竹の爆裂音は大きな効果をもたらしたろう。爆竹は山鬼に対して用いられたにちがいない。施術者の深層心理から分析すると、焼いた竹が破裂するのは、山鬼を駆逐するということである。それは静寂と重苦しい空気を打破するということである。

時代の変遷とともに爆竹の用途は増え、しだいにいっさいの妖魅を駆除する武器となっていった。これだけでなく、山鬼に対して爆竹がもっとも効果的であるとみなされるようになった。

唐宋時代の小説が描くように、山魈はつねに李畋(りでん)の隣の仲叟(ちゅうそう)の家で怪をなした。仲叟は菩薩に保護を求めたが、かえって山魈は今まで以上に手に負えなくなるのだった。李畋は老人のためにおこなうことについて説明した。「これから除夜ですが、夜、庭で数十の竹竿を破裂させます。どうなるか見てください」。実際、これ以後、山魈は来なくなった。この描写から、山鬼を駆逐するのに、爆竹のほうが菩薩に助けを求めるより効果が大きかったことがわかる。