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伝説によれば植物は精となって祟りをなすという。この種の妖怪を征服する方法は、これもまたそれを掘り出して食べることである。陶宗儀『輟耕録』巻九に言う、臨海章安鎮の蔡大工、はある晩、酒を飲みすぎ、家に戻る途中、棺桶置き場にさしかかると、家に着いたのだと思い込み、棺桶の上で眠ってしまった。
夜半、冷たい風のなかで目を覚ますと、棺の中や外の鬼魂の会話が聞こえてきた。ある鬼が言った。「〇家の娘が原因不明の病気にかかっているな。後園(後ろの庭)の葛兄貴が原因なんだけどな」。
翌朝早く、蔡大工は直接その家に行き、娘さんの病気を治しましょうと申し出た。この家の後ろの庭に葛があるかどうか尋ね、蔡大工はそこに行って、そこら中を掘り返した。ようやく太めの葛の根を探し出した。斧でそれを切ると、血が噴き出てきた。葛の根をよく煮て娘に飲ませたところ、奇病はたちまち治ったという。
古代中国では掘法が盛んだった。これは住宅の地下に埋まっている死体を掘り出し、べつの地方に移して葬ることをいう。春秋の頃、斉景公と季武子の宮殿をほかの人の墓地の上に建てたところ、ふたりの統治者は事情に通じていたが、父母の合葬を要求して宮殿に入ってきた者がいた。彼は遺骸を地中から掘りだした。これらは巫術活動ではないが、後世の遷葬駆鬼の先駆けとなった。
古代の小説の描写から、家の下の地面に死人が埋まっているなら、かならず鬧鬼がいて、遺骨が掘り出されることによって平静を回復することができた。ときには鬼が報いてくれることがあった。
唐人張鷟(ちょうそく)『朝野僉載(ちょうやせんさい)』巻二にいう、左司郎中[官職名]鄭従簡の担当している地域には、しばしば怪異現象が起きていた。実地調査をするためにやってきた巫師は、地面の下に死人が埋まっていると言った。巫師は死者になぜ怪をなすのかと尋ねた。鬼は回答する。
「鄭君は毎日われらの大門の上に座っておる。出入りしようとしているわれわれにとって、不便このうえない。鄭君は自ら好んでやっているわけではない。われらに復習しようとしているわけでもない」。
鄭従簡は人に地面を三丈ほど掘らせ、その結果死者の骸骨を発見した。死者を移葬すると、怪異現象はなくなった。
ほかにも、隋朝の将軍史万歳が古い骨を掘って移すと、鬼兵が助けてくれたという故事、唐朝の張琮が鬼の遷葬をして鬼怪の保護を受けるようになった故事、狄仁傑が死者を遷葬したところ官府で騒いでいた鬧鬼がおとなしくなった故事、趙叔牙が鬼の遷葬をして求めていた大雨を得た故事などがある。どれもみなテーマはおなじである。