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 「告地策」(葬送文書)の特性は道士によって変えられる。保護を求める文書が、地下官吏に向かって発せられる施令の文書に変化するのだ。

 後漢熹平(きへい)二年(173年)に術士が死者張叔敬のために記した告地策は以下の通りである。


「熹平二年二月乙巳朔十六日庚申、天帝使者が告ぐ。張氏の家、三丘五墓、墓左墓右、中央墓主、塚丞塚令、主塚司令、魂門亭長、塚中遊幽士(?)。移丘丞〇(墓)伯に敢告する[〇は木扁に墓]。地下二千石、東塚侯、西塚侯、地下幽卿、耗里伍長等。

 今日は吉良、ほかの理由では用いない。ただし死人張叔敬は、薄命で早(蚤)死に。まさに丘墓に帰す。黄神は五岳に生まれ、主に死人を記録する。

 招魂招魄、主に死人の籍を作る。生人は高台を築き、死人は深みに帰り自らを(埋)める。眉とひげを落とし、下部は土灰と化す。今も昔も若返りの薬を求め、のちの世には死者がなくなればと願う。上党人参(党参)九つ、生人に代わって持つことを欲す。

 鉛人(鉛の人形)が死人に代わって持つ。

 死人に代わって黄豆、瓜を持ち、地下の官吏に税として納付する。

 中薬としての牡厲(蠣)すなわちカキを作り、邪悪を取り除き、咎(ろが)を止め、災禍が起こらないように欲す。このことは伝わり、地吏(役人)に言うことをきかせる。張氏の家を二度と煩わせてはいけない。急急如律令」


 格式や語気などを見ると、告地策は道教徒の手によって書かれた可能性が大きい。文書は諸鬼吏に向かって告げる。彼らが死者を保護していること、もう一方で張氏の親族に危害を加えないよう戒めている。

 一般の告地策と違うのは、文書が消極的に地下主の保護を求めているのではなく、多くの巫術的手段をも羅列している点である。たとえば党参を生者に代わって用いるとか、鉛人を死者の代わりに用いるなどである。死者が地下でも税を収められるように副葬品として黄豆や瓜を持たせる。カキを副葬品として入れるのは、邪祟を鎮めるためである。このように積極的に攻めているのは明らかである。