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 漢代に到り、雩祭儀式に重大な変化が生じた。漢代の雩礼の総合プロデューサーは董仲舒である。彼は多くの伝統巫術をひとつにまとめ、陰陽五行の図式に表して見せたのである。雩礼はこうして整然として秩序立ったものとなり、雑多でありながら乱れていなかった。現代の整然とした大型マスゲームのような巫術儀式である。


 董仲舒の雨乞い術は、「開陰閉陽」(陰を開き、陽を閉じる)「損陽益陰」(陽を損し、陰を益する)を基本原則としている。彼の認識では、天と人は互いに感応しあうものであり、天候の変化が人体や情緒に影響を与えるのと同様である。人の行為によって上天からの反応を得ることもできる。旱災の原因は「陽気」が過度であるためである。さかんすぎる「陽気」を追い払うため、意識的に「陰気」を強化する必要がある。こういった考え方は、『春秋繁露』「同類相動」の中に明確に表現されている。

「天に陰陽あり。人にもまた陰陽あり。天地の陰気が起これば、人の陰気もそれに応じて起こる。人の陰気が起これば天地の陰気もまた応じて起こる。その道は一つである。これが明らかな者は、雨を欲するなら、すなわち陰を動かしてもって陰を起こす。雨を止めたいなら、すなわち陽を動かし、以て陽を起こす。ゆえに雨をもたらすのは神ではない。神であるのか疑わしければ(神をまねるのであれば)、その理は微妙である」

 開陰閉陽(陰を開き、陽を閉じる)についてだが、陰陽家[諸子百家の一つ]は事物に対し、陰陽のどちらに属するか、先験的(ア・プリオリ)に判断を下す必要がある。たとえば南方は陽に属し、北方は陰に属す。火は陽となし、水は陰となす。雨乞いのとき、南門を閉じ、北門を開放する。火をつけるのを禁止し、四方で水をまく。女は陰に属し、男は陽に属すので、雨乞いのとき、男はしばらくの間つらい思いをしなければならない。

 董仲舒は江都王へ宛てた奏上文のなかで、「雨乞いには、損陽益陰すべき」と説く。ゆえに祷祝に従事する広陵女子の一か月の租税を免除するようにと江都王に請願している。この分は、巫師に賜うといい。大巫小巫すべてを郭門[外側の城門]に招集する。そこに壇を建て、神を祭る。女性らには市場を広々とした、交通の便のいい場所に移させるといい。男たちは市場に入れさせない。

 雨乞い期間中、男は集まって飲酒するのが禁止される。官吏の妻はみな衙門[官署のこと。ここではその門]に行き、夫を遠くから見る。官吏は妻の姿を見ると、高貴な客に対するように恭しくもてなす。これを同時に挙行すると、すぐに大雨が降り、儀式を終える。