第3章 05 救日救月の礼俗  

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 歴史上の相当長い間、日食月食は太陽と月が魔物に飲み込まれることによって起こると信じられてきた。『春秋』は日食を「日これを食すあり」と記した。「日を食べるものがある」ということである。

『穀梁伝』「隠公三年」の解説に言う、「これを食す者ありとは何か。吐くのは外壌、食すのは内壌、欠けていてその壌を見ることはできないが、これを食す者あり」と。文中の「壌」という言葉はすこぶるわかりにくい。

唐の楊士勲は信(びしん)を引用していわく、「斉と魯の間にいわゆる掘られた土地があり、土が出ている。鼠が穴を作り、土が出ている。これらはみな壌と呼ばれる」。この解釈があっても、なおわかりづらい。

晋の范寧は注釈で述べる。「おおよそ吐き出すのは、外の壌である。飲み込むのは、内の壌である」と。『穀梁』の壌は、のちの「(じょう)」とほぼ同一である。内体、実体といった意味である。それは外に吐き出されときの外の体であり、食べられたときの内の体である。

いま太陽が突然欠け、その体を見ることができない。何かに食べられてしまったにちがいない。太陽や月が飲み込まれてしまったあと、やってくる暗黒がどのくらいつづくかは誰にもわからない。古代人は日食月食を重大な災難とみなした。彼らは救日の間、救月活動を開始する。すなわち巫術の方法を用いて太陽と月を魔物の口の中から救出するのである。