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 陰陽学がさかんになったあと、人は、女性と月は同じ陰に属するという認識を持つようになった。女性が月を救うのはさらに効果があると考えられるようになった。長い間学びを重ねて、救月活動は女性が主に参与する活動となった。

 『白虎通義』」「災変」に言う、「月食を救う者、陰の明を失う。月食を救う者、夫人が鏡を打ち、は杖を打ち、庶民の妻は楔(くさび)を掻く」。婦人と孺人は国君の妻と大夫の妻たちを指している。「楔掻」は「掻楔」の誤り[原文は楔掻になっている]。楔は家の門の両側に立てた長い木柱である。かつてそれは車が門に触れないように置かれたものである。「掻楔」は手拍子で門楔を打つものである。

 撃鏡、撃杖、撃楔、これらは鼓噪(騒ぎ立て)法術である。

 『太平御覧』巻四に引く『荊州占』に言う、皇(王)后の救月が使用する撃鼓の方法がある。「月蝕、后自ら太鼓を提げる。階段の前で槌を持って太鼓を叩く者三人。善良な人々、諸御(妻や妾)、宮人(女官)などみな杵を打ってこれ(月食)を救う。月はすでに蝕まれ、后は斎戒に入り、質素な白い服を着て、三日間放縦な生活をやめ、吉祥のことだけやった。先王の行為で天地の誅罰を免れ、四境の患を解く」。

 文中の杵は、ここでは衣を搗く杵を指す[米を搗く杵もある]。女性専用の道具である。唐代は救月の習俗がさかんだった。「長安城のなかで、月蝕のたびに士女は鑑(かがみ)を取り、月に向かってこれ(鏡)を打つ。城郭の中はすべてこんな感じで、月蝕を救う。


 撃鼓、撃拆、撃鏡のすべてで用いられる木は「救月杖」と呼ばれる。唐代の一部の医師はそれから神薬を作る。陳蔵器は言う、「月蝕瘡と月割耳」を患っている人々がいるという。救月杖を焼いて灰にし、油と灰をまぜて傷口に塗る。すると即座に治る。

 月蝕瘡というのは「両耳や鼻、ならびに下の方の各穴のそばにできる。月はじめに傷は悪化し、月の終わりに衰える。月の生死に従うので、その名にちなみ月蝕瘡と呼ばれる」。月割耳もおおよそ同じような病状である。

 救月杖によって「月蝕瘡」を治療するのに、救月杖の余勢を利用して月食がもたらす邪祟を制圧する。孫思邈は言う、救月杖は治(とく)の神薬である。