第3章 07 厄病退散(上)周秦代の追儺祭とその変遷  

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 古代中国に流行した疫病の駆除にはおおよそ二種類あった。一つは、集団で参加する疫病駆除の活動。それには儺祭とのちの変化した祭礼の形式が含まれる。もう一つは、各個人や家庭の各種秘術の実行。それには小豆(あずき)駆疫、古磚(こせん=古レンガ)駆疫、その他各種駆疫呪符が含まれる。

 儺礼は集団で遂行する疫病鬼駆逐儀式である。儺礼の儺はもともと難と書かれていた。難(去声)と読み、「非難する」「問いただす」の意味があり、攻撃的な疫病駆除活動を表していた。のちの人は儺礼のもとの意味を知らず、難のかわりに儺の字を用い、かつヌオという音をあてた。この書き間違い、読み間違いは、漢代には見られた。ただし当時の多くの経師(経典を書写する人)は儺が難であるべきことを知らなかった。

杜子春も「儺、これは難問の難と読むべきである」と述べている。高誘も言う、「儺もまた除くなり。(……)儺は躁難の難である」。鄭玄は直接『周礼』「占夢」中の「始儺駆疫」を「始難駆疫」と改め、「難、兵を執るのに難却をもってする」と指摘する。

梁朝皇(こうかん)は儺礼を解釈して言う。「儺、儺と口にして疫鬼を駆逐する」と。彼は儺のもとの意味を知らなかったようである。陸徳明が選んだ『経典釈文』は経典中の「儺」の注音を「乃多切」(nuo)とし、儺字がすなわち駆疫礼を指す標準的文字であることを示している。



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