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 秦代以前、儺礼は慣例どおり巫師が掌っていた。『周礼』の記載によると、儺礼を組織するのは占夢、男巫、方相氏の三官である。この三種の人はみな実質巫師といえる。占夢の本職は夢の解釈と悪夢の駆逐である。ただ彼は、冬の大儺儀式においては、ほかの人たちに進行していいことを伝えねばならない。

男巫の仕事には「春、招(しょうじ 福を招き、禍をなくす)によって疾病を除く」と「冬の堂で贈る、方もなく、算もない」とあるが、どちらも儺礼と関係がある。この「冬の堂で贈る」は、冬、駆疫のとき、男巫はお堂のなかにいて、疫鬼を駆逐し、方相氏が鬼を攻撃するのを手伝う。贈るは送るである。すなわち駆逐する。「無方無算(方もなく、算もない)」というのは、どの方角でも、どれだけの距離であろうと、疫鬼をできうるかぎり遠くに追いやることができればいい、という意味である。


儺礼の主役は方相氏である。疫鬼を駆逐するとき方相氏は熊の皮を頭にかぶっている。馬皮上には四つの黄金の目玉がついている。上半身には黒衣を着て、下半身には深紅の裙裳(スカート上の衣)をはいている。片手に鉾を持ち、もう片方の手に盾を持って舞う。百名ほどの打鬼する者たちを従えて居室に入り、四面を捜査し、疫鬼を残らず捕まえて外に追い出す。


『周礼』「夏官」の叙官のところで言及しているが、方相氏は「狂夫」四人組から成る。狂夫とは、瘋狂で凶暴な男子のことである。そういった瘋癲(ふうてん)で、つむじ曲がりの人がリーダーシップを取って鬼を打つ。こうして才能をいかんなく発揮する。ある人は、方相氏は儺礼中の表現が十分奇怪である、それゆえ狂夫という別称で呼ばれるようになった、と認める。狂夫によって方相となることと、方相が狂夫となる状況は、同時に存在しうる。二つの状況は方相氏がシャーマンとしての気質を十分に持っていることを説明する。


方相氏が着ける「黄金四目」の熊皮仮面を、周代には「倛(き)」あるいは「皮倛」と呼んだ。『荀子』「非相」は言う、「仲尼の状、面は蒙倛のごとし」。ここでは孔子の顔が醜怪で、打鬼の仮面のようだと述べている。仮面を着けて疫鬼を駆逐するのは儺礼の伝統である。歴代の仮面にはそれぞれ独特の風格がある。漢代においては、仮面は魌頭(きとう)と呼ばれた。魌、倛、などと呼ばれたが、どれも意味は同じで、醜悪であることを指す。儺礼の仮面は醜怪で恐ろしい。だから魌頭と呼ばれたのである。