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 古代の人はいつも黃豆、黒豆などを用いて避煞駆疫(ひさつくえき)[煞は凶神]をおこなった。宋代の婚礼では「新婦が車を降りると、陰陽人(すなわち巫師)が器を持ち、穀物、豆、お金、果物(彩果)、草節などを盛り、祝いの 言葉を唱え、門に向かって撒く。すると子供たちは争ってこれらを拾った。これを穀豆撒きという。俗に厭青羊等殺神[青羊は木精などの煞神のこと。殺神は煞神。つまり凶神を駆逐するという意味]という」。

 この法術の起源は漢代ともいう。「前漢の京房(前77―前37の学者)の女を翼奉(前漢経学者)の子のもとに嫁にやるとき、(奉が迎える日を選んだが)房はその日門の前に三煞(青羊、烏鶏、青牛の三凶神)がいて不吉であるとした。これを犯すと(無理に門に入ると)家長を損なう(あるいは子供が生まれない)としたが、奉は納得しなかった。(そうこうするうちに新婦が門に到着したので)麻、豆、穀、米で祓ったところ、三煞を避けることができた。これ以来、新しく人が家に入るとき、麻や米を撒くようになった。のちの撒帳の俗[新婚夫婦が互いに拝したあと、床に並んで座り、新婦が銭や彩果を撒く習俗]はここに始まるという」。

 清代には黃豆を用いて天然痘を祓除した。「黃豆を帳(とばり)の上に撒き、あるいは赤緑の糸をまき、黃豆三粒を香袋に入れると、禳痘(天然痘の祓除)することができた」。この法術と赤小豆禳疫法とは密接な関係があった。