(7)深紅の帽子をかぶる
唐代陸勲『集異志』は記す。梁武帝太清元年、丹陽の莫氏の妻が怪物を産んだ。大きさは二歳の子供ほどで、両目は長く頭頂にあった。怪物は生まれ落ちたときに言った。「われは旱疫の鬼である。長く住むことはできない」。
莫の妻が瘟疫を避けるにはどうしたらいいかと質問した。疫鬼は答えた。「疫病がはやって緊急事態のとき、深紅の帽子をかぶると何事もないだろう。うまくいかなかったら、深紅の帯を髪につけて一時的にしのげばいい」。
妖怪が生まれてから二年以内に瘟疫がはやった。楊州、徐州、充州、豫州がひどかった。莫の妻が疫鬼のことばを記し、この方法を伝授すると、あたりは大きな被害を受けずにすんだ。深紅の帽子、深紅の帯の避疫法は、朱糸駆邪術と基本原理は同じだった。漢代の五月五日五彩糸を腕につける辟厲鬼瘟病の習俗とも関係があった。