10)経条を貼る 

 明代天啓年間、盧陵県令蜀明は、封条(封印紙)のような「経条」に刻印するよう命令を下した。経条には<玉清文昌大洞仙経>と書かれ、道士の印章を押した。疫病が出た区域にそれを貼り、伝染病を避けることがでえきた。

 ある人がなぜこんなことをするのかと聞いた。蜀明が答えた。文昌帝の父母が瘟疫にかかって死んだ。それゆえ文昌(もとは星の名、すなわち文曲星。道教は功名禄位の神とみなした)は道を得たあと、法術を用いて疫鬼を退治した。疫鬼は名を元伯といい、文昌によって退治され、叩頭し、罪を認めた。

「下界の人間には罪業[身口意三業の罪]があります。上帝は閻王(閻魔)と元伯に命じて懲罰を実施しました。我輩はただ命に奉じただけなのです。どうか我輩を殺さないでください。願いをきいて差し上げましょう」

 これにより文昌(帝)君と関連した経文を門に貼ったため、疫鬼は門から中に入ろうとしなくなった。すでに門から中に入っていた疫鬼は、自ら外に出た。

 経条を貼る方法とつぎに挙げる施呪符法は相通じるものがあり、経条を符籙のバリエーションとみなすこともできるだろう。