第3章 09 悪夢祓い 

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 夢兆は古代世界各民族の間に普遍的に流行した信仰ある。「古代人はみな夢に重大な意味と実際的な価値を見出した。彼らは夢の中に将来の予兆を求めた。古代ギリシア人とその他東方の民族は出兵時にかならず夢占いを連れていった。今日、出兵のとき偵察員を連れていき、敵情を探らせるのと似ている」(フロイト)。フロイトはこの一節を応用して古代中国の夢兆迷信も合致すると説明している。

商代の卜辞のなかに大量に夢占いの記録がある。商王、王妃、近臣など夢見る人物が鬼怪、獣、天象その他恐ろしい夢を見た場合、占いをする必要があった。彼らは悪夢が出現するのは祖先が祟っているのだと考えた。それは災いがやってくることを予知していた。商代以降、夢占い術は複雑で細かくなっていったが、それを用いて予測をしたのが方士(呪術師)だった。

 夢占い術が発展するとともに、悪夢を駆除する巫術もまた発展してきた。周人の習慣で毎年年の終わりに悪夢を駆逐する儀式、いわゆる「贈悪夢」を行った[この「贈」は駆逐するという意味がある]。おそらく周人が悪夢を疫病の前兆ととらえたので、周代の贈悪夢儀式と疫鬼駆逐の儺礼は結びつきやすかった。

 『周礼』によると、夢占い官は六つの夢を求める責任があった。六夢とはすなわち正夢、夢(ぞっとする夢)、思夢、夢(目覚めの夢)、喜夢、惧夢(恐ろしい夢)。それぞれが吉凶を示す。毎年月(ろうげつ 農暦十二月)、周王の夢象を問わねばならなかった。あるいは群臣の見た吉夢を王に献じなければならなかった。このあと蔬菜を四方の神霊に祭る必要があった。「それによって悪夢を駆逐(贈)した」。つぎの朝、方相氏(神職)が命令を出す。それは年末の大儺の正式な開始宣言だった。

 『周礼』中の男の巫師は「冬、堂贈の祭祀をおこなう。その方向や遠近は一定しない」。この「贈」はすでに述べたように疫鬼を駆逐するという意味。つまり悪夢を送る(追い出す)ということである。後漢の儺礼中の「伯奇」はもっぱら悪夢を食べる神獣。このとき夢の駆逐と疫の駆逐は関係がある。



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