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 周代の人は、夢の世界と疾病の関係を誤解したことから、悪夢と疫病にはつながりがあると考えた。鬼神信仰がさかんな社会では、体が弱くて病気がちの人、あるいは改善の見込みのない重病人は、どうしても悪鬼の夢を見るだろう。

晋の景公は死ぬ直前に髪を振り乱した厲鬼(れいき)が門を打ち破り、命を取りに来る夢を見た。また病鬼が二人の子供に変じ、あれこれと問答する夢を見た。声は言う、われらは景公の膏肓(こうこう 心臓の下の経穴)の間に隠れて、名医の手を束ね、策を講じさせないのだ、と。

晋の平公は大病中に「黄色い熊が寝門(もっとも内側の門)に入る」夢を見た。

体質や心境の変化から悪夢がもたらされ、それは疾病や死亡の原因と解釈された。当時の観念からすれば、天子が悪鬼を夢見る意味は、鬼神が天子本人だけでなく、彼が管轄する民にも懲罰を与えるということである。この考え方を推し進めれば、悪夢は疫病の流行の前兆と考えられるようになる。


睡虎地秦簡『日書』に「夢篇」があり、占夢や駆夢についても書かれている。そのなかの悪夢を駆除する方法はつぎのとおり。夢から醒めたあと、髪のかんざしを抜き、ぼさぼさの髪で座り、西北に向かって呪文を唱えた。

「皐(ハオ)! 敢告爾矜蜻[原文は+今、立+奇]之所、強飲強食、賜某大幅(福)、非銭乃布、非繭乃絮(わた)」

 矜蜻は『日書』乙種本では宛奇と書かれる。すなわち『後漢書』「礼儀志」で言及される悪夢をのみ食べる神獣「伯奇」のことである。呪文の意味は、「われはここで悪夢の出現を見た(悪夢を見た)、まさにそのことを矜蜻に報告しなければならない。さらにわれは自ら矜蜻の住むところに行き、飲食してもらうようお願いしなければならない。悪夢を食べてもらい、大福(大きな幸運)をもらわねばならない。それは銭でなく布であり、繭でなく絮(わた)である」。

 「夢篇」が説明する、かんざしを抜いて髪をばさばさにするのは、当時、つねに用いられた制鬼法だったと。『日書』「詰篇」は言う、「人が道で鬼と出会ったとき、髪を解いてがんばってこれを過ぎれば、なんとかなる」と。前に引用したように、『録異伝』は、秦文公が髪をばらけた者に頼って神樹を伐採し、髪をばさばさにした士や兵に青牛を脅させて逃亡させた神話を収録している。「夢篇」に記載される「釈髪」と同様、駆夢術の一種である。