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呼鬼名の駆夢法は古代民間において比較的普及していた。伝説によれば、夢神の名は「趾離」(しり)だった。眠る前、その名を呼べば、「夢は澄み、縁起がよかった」。
別の伝説では、夢鬼は「奇伯」という名でその名を呼べば悪夢を見ることはなかった。すでに述べたように、秦漢の時代、悪夢を食べる神は□[豸偏に今]□[立偏に奇]、宛奇、伯奇などと呼ばれた。「夢の鬼の名は奇伯」などと言われたが、それが変化したものだろう。
古代民間にはさまざまな辟夢法術が流伝していた。たとえば眠りに落ちる前、「元州牂管娶竺米題」を唱えれば、吉祥がもたらされる。また虎の頭の骨を使って枕を作れば「辟悪夢魘」とするなど。これらのほとんどが僧道巫医(仏教、道教、シャーマニズム)から来ている。
魘死者(夢魔による死者)を救うのは、悪夢を駆逐する特殊なケースである。晋代から唐代にかけて、青牛や馬を魘死者にくっつけるのは、もっとも流行した救魘法だった。その詳細に関しては「青牛髯奴」の章を参照してほしい。
道士が好んだ治魘魅猝(突然死)法でも符籙が使われた。葛洪『肘後方』巻一にも治魘魅猝(突然死)法が記されている。(図1)
葛洪が言うには、魘死者が出るたびに、急いで紙に文字を書いて符とする。この符を燻して黒くし、少しばかりの水とよく合わせ、それを死者の口に注ぎ込む。鏡を手に持ち、死者の耳元に置いてそれを叩く。叩きながら死者の名を呼ぶ。すると「半日もしないうちに生き返る」。
葛洪が記録した符は少し変化して後世の医書(『医心方』に引用された『范汪方』)に現れた。この書はつぎのように説明する。「治魘死と書いた」この符は焼いて黒くする。少量の水を混ぜ、それを死人の口に置く。鏡を死人の耳元に掲げ、鏡を打って死人を呼ぶ。半日もたたないうちに生き返る」。この手順と葛洪の方術はまったく同一といえる。おの二つの符(図2)葛洪の符が発展したものである。