(1)時間ごとの治瘧法(上) 

 魏晋以来巫医の間に緻密な祓瘧法術が伝えられていた。巫医は、十二種の瘧鬼が十二の時辰を交替で当番に当たっていると認識していた。瘧疾の発作は十二種の瘧鬼が起こさせると考えたのである。瘧鬼にはそれぞれ由来があり、性質もさまざまで、瘧疾を祓除するためには発瘧時間を見て異なる措置を取らねばならない。作者不明の古医書は、黄帝の問いに岐伯が答える形式で十二種の瘧鬼に対処する方法を詳細に記述している。以下に要約する。


<寅時> 寅時に虐疾が起きたのは「獄死鬼」のせいである。病人を窯の上に置き、灰煙の中で連続していぶし、あぶると、全快している。

<卯時> 卯時に虐疾が起きたのは「鞭死鬼」のせいである。「五白衣」を焼いて灰を作り、酒、あるいは清水に少しばかり入れて患者に服用させる。

<辰時> 辰時に虐疾が起きたのは「堕木死鬼」のせいである。病人を大樹の上に登らせ、棘だらけの枝の中にいると、完全によくなる。

<巳時> 巳時に虐疾が起きたのは「焼死鬼」のせいである。病人を地面に座らせ、巫師がその周囲に火をともしていくと、治癒するだろう。

<午時> 午時に虐疾が起きたのは「餓死鬼」のせいである。瘧(おこり)になった者は手に動物脂肪とたいまつを持ち、無人の田野へ行き、脂肪を燃やし、油脂が香気を出すと、柴狩に行くように装って立ち去る。

<未時> 未時に虐疾が起きたのは「溺死鬼」のせいである。虐(おこり)の病人は発作の前に三度東に流れる河を渡る。そうすれば病は癒える。

<申時> 申時に虐疾が起きたのは「刺死鬼」のせいである。まさに発病しようというとき、虐の病人は刀を墳墓に突き刺し、墳墓の死者の姓名を呼ぶ。そして呪文を唱える。「(やまい)め、われとおまえの決闘だ」。すなわち、私の病気を治してくれるなら、あなたが刀を抜くことを許そう。

<酉時> 酉時に虐疾が起きたのは「奴婢死鬼」のせいである。「瘧の病人に臼の少し上の棒の上に伏せさせる。ほかの人が姓を言ってはならない。すなわち「」がよくなる」。臼の上に…の箇所は文意が通じないので誤字が含まれるのだろう。虐の病人には臼の上に寝てもらう。他者は病人の名を口にしてはいけない。そうすれば瘧の病は治癒する。

<戌時> 犬時に虐疾が起きたのは「自絞死鬼」のせいである。右回りに撚った縄で虐患者の手、足、腰を縛る。そうすれば完全によくなる。

<亥時> 亥時に虐疾が起きたのは「盗死鬼」のせいである。灰土を病人のまわりに撒く。刀を病人の腹の上に置き、矢を病人の身体の下に置く。

<子時> 子時に虐疾が起きたのは「寡婦死鬼」のせいである。虐の患者に服を脱いでもらい、東の部屋の床の上に寝そべってもらう。巫師は左手に刀を、右手に杖を持ち、病人を打って絶叫させる。また水で満たされた瓦盆を路辺に置く。すると全快する。

<丑時> 丑時に虐疾が起きたのは「斬死鬼」のせいである。虐の患者は頭を東に向け、門に対するように寝そべる。その頭を刺して、頭の下に血が流れるようにする。そうすれば完全によくなる。


 以上の十二時祓虐法を支えるのは二種類の原理である。第一に、巫医は、虐鬼が病人の体内に潜伏すると認める。第二に、各種虐鬼の同一でない心理に焦点を絞り、それに合わせた駆鬼方法を使用する。両者を結合し、いくつかの方法によって虐疾患者を震撼させ、懲罰する。

 たとえば、辰時に祟りをなす墜木死鬼は、樹上から落ちた人が変成してなった虐鬼である。彼らはこのような経歴を経ているので、樹上を怖がり、辰時に病気になった虐疾患者は棘だらけの大樹に登らなければならない。こうして体内の虐鬼を鎮めるのである。

 おなじ理屈で焼死鬼は火を怖がるので、周囲を火で燃やす方法を取る。溺死鬼は水を怖がるので、三渡東流水法を用いる。自絞死鬼は縄を怖がるので、縄で病人を縛る方法を用いる。寡婦死鬼は刀杖を怖がるので、巫師は手に刀杖を持ち、患者を叩くと女人のような叫び声をあげる。患者体内の寡婦死鬼が同時に杖の打撃を受けていることがわかる。もっともアンラッキーなのは丑時に発病する患者である。巫師は病人の体内に斬死鬼が隠れていると認定する。頭を斬られた人が変成した虐鬼である。ただ患者の頭を切って血を放出すれば虐鬼は畏れおののいて、逃げ出すだろう。

 あきらかに、木に登ったり、縄で縛ったり、杖で打ったり、頭を切ったりする治療は、患者側に巫術に対する堅固な信念が必要だった。さらには強い身体と超常的な抵抗力が必要だった。