(5)符呪による瘧の治療(下)
仏教徒や民衆が創り出した駆瘧呪法もまた数多く見られる。『堅瓠七集』巻四に収録される「瘧堙迦醯迦、瘧堕帝薬迦、瘧怛唎帝薬迦、瘧者特托迦」。これは仏教徒の瘧を治す呪文である。
古い小説『録異伝』には自称「邵公」が創った瘧疾を治す民間の呪法が載っている。民間の瘧を治す呪文の内容は、瘧鬼や瘧疾とは関係がない。たとえば『堅瓠七集』が引用する「少陵子璋髑髏血模糊、手提擲環大夫」「江西人討木頭銭、要緊要緊」などの呪文は、等しく神秘怪誕の類である。
十二種の瘧鬼は、十二時間の時間ごとの瘧疾という観念を作り出した。そしてその影響で符籙が創り出された。
晋代の道士陸修静らが編纂した『太上洞玄霊宝素霊真符』巻下「治瘧疾」章には、瘧を発した時間ごとに使用した三十六道の符を列挙している。三道ごとに符は一つの時辰を掌る。それぞれ一つの瘧鬼(の起こした瘧)を治す。
異なる時辰に使用した符に応じて異なる体の部位に符を書く。もし平旦に発作を起こしたのなら、瘧(兵死鬼)の符を左脇下に書く。日出時の瘧を治すなら(盗賊死鬼)の符を右腋下に書く(以下略)。符を記す者は、これらの符を用いれば十二時間の瘧鬼を収めて「たちまち癒える」効能があると称す。
道家の瘧を治す符の種類は非常に多い。直接患者の身体の上に書く符籙のほか、佩帯する符、呑服用の符などもある。組を成す符以外にも、ばらばらな雑多の符もたくさんある。
道士は五月五日の呑符は、瘧疾の予防に有益であると認識している。たとえば三十代天師虚静は治瘧秘法を伝えてきた。すなわち朱砂、雄黄を研磨して細かくし、五月五日に水と合わせる。そして5枚の銅銭ほどの大きさの槐紙(かいし)に「天地日月星」と書く。紙を丸めて桃柳湯によって服用する。すなわち「大治瘧疾」である。
ほかの秘法では、五月五日に香を焚き、叩歯し、七枚の橘の葉の上に魁、𩲃、□(鬼+雚)、□(鬼+行)、□(鬼+田+甲)、□(鬼+甫)、□(鬼+票)の七字を書き、焼いて、研磨し、井華水で調和し、北に顔を向け、服用する。瘧を治すのにおおいに効果があった。
古代の文人の多くは符呪によって瘧が治ると信じていた。熱心な人はただ信じるだけでなく、世間に広めた。『続子不語』巻五「駆瘧鬼呪」に言う、「瘧鬼は干支、日ごとに分かれ、名前がある。病を得た日、名前を調べれば、符でこれ(瘧鬼)を駆逐することができる」という駆除法がある。これでももっとも霊験があるというわけではない。もっとも霊験があるのは、『太平広記』に記載された呪文である。
勃瘧勃瘧、四川之神、使我来縛。
六丁使者、五道将軍、収汝精気、摂汝神魂。
速出速出、免逢此人!
瘧を発したとき、つぎの呪文を唱えるだけでもいい。
寒熱即散、汗出而癒。
張雨材という人の「試したところ験があった」という言葉どおり、台州に広がり、試せばかならず効があったという。信じられるものもあったので、巫術を信じる者らは一挙に広げておき、さらに多くの瘧疾患者が符呪の試供品となった。