(6)その他雑法 

<刺影法> 

古代においてよく見られた治瘧法に、刺影法術があった。巫師が左手に水の入った碗を持ち、右手に刀を持ち、瘧疾を患う子供に面と向かい合い、呪文を三度唱える。そのあと禹歩で病気の子供に近づき、碗の中を覗くようにと言う。巫師は息を吐き、その刀で碗の中の子供の影を刺す。

<呑豆法> 

 大豆を割り、皮を取り、「日」の字を書く。ほかの大豆に「月」の字を書く。左手に「日」、右手に「月」を持ち、これらを呑み込むと、病は癒える。

<蜘蛛の糸法>

 四季の終わりに、「大きな蜘蛛を一匹取り、盧(あし)の茎の中に入れ、茎の口を塞いで密閉する」。盧の茎から垂れ下がる蜘蛛の糸を喉の上に掛ける。

<旧靴底焼灰冲服法>

 古い靴底の両つま先を焼いて灰を作る。井華水とともにこれを服用する。

<雄鶏禳瘧法>

 発作が起きる前に大きな雄鶏を抱き、その頭を懐に入れる。しきりに動き回る鶏に大きな鳴き声をあげさせる。するとたちまち(い)える。

<獅子を画いた蟹を掛ける法>

北宋時代、陝西秦州の人は干し蟹を怪物とみなした。「家族に瘧を病む者があれば、(干し蟹を)借りて門に掛けた」。清代の人はなおも「干し蟹を掛け、門に蟹を画けば、瘧が治る」と信じていた。

<高官画押法>

 昔、文潞公(文彦博)[政治家、書法家10061097]は「花押で瘧を治すことができた。公女(諸侯の娘)はそれを切ったものを食べて病人を治療した。


 古代の民間には居住地や住所を変えることで瘧鬼を避ける風習があった。瘧を避けようとする者は、仮装することもあった。瘧鬼を迷わせることで目標からはずれようとしたのである。

 宋の趙与時(ちょうよじ)『賓退録』巻七に言う、「世に瘧疾がはやると、ほかの場所に移して避ければいいと、唐以来巷ではそういわれてきた。高力士が巫州(四川・叙州の旧名)に流され、李輔国が懲罰を受けるとき、力士は「逃瘧」(瘧鬼を別の場所に逃がして難を避けること)の功があった功臣されている。杜子美の詩に言う。


三年猶瘧疾、一鬼不銷亡。

隔日捜脂髄、増寒抱雪霜。

徒然潜隙地、有靦屡鮮装。


 すなわちこれを避けることができず、顔を塗布することになる。

 周作人はこのことを『瘧鬼』という短文にまとめている。少年時代に見聞した避瘧のことと村の瘧鬼廟の情景を記している。逃瘧塗面のことはたいてい三代前に起こったこととされるが、唐代にはすでに記録されていると述べる」。

 避瘧は消極的な逃避方法である。そして非典型的な攻撃的巫術である。しかし瘧鬼信仰を反映するものであり、上述の禁瘧法と完全に同じものである。