(8)緊急の産気づけ巫術(下)

 上述のように、夫の姓名、日月、父入子出などの文字を大豆や杏仁に書き入れる。これはいわば特殊な文字符である。

伝説によれば宋人は五月五日の午時(正午頃)の雨水と朱砂を調合して、古銭ほどの大きさの紙片に(朱書きで)竜の字を書いた。また翌年五月五日の午時の雨水で墨をとき、古銭ほどの大きさの紙片に(墨の黒の)竜の字を書いた。この2枚の紙片をこねて団子状にする。お産の産婦はそれを乳香湯(スープ)といっしょに飲む。それは「お産を促すこと、神のごとし」と言われる。

胎児は生まれてくるとき、この紙の塊を手に握っているという。男の子はそれを左手に、女の子はそれを右手に握っている。

古代医書によれば、逆子のとき、左足裏に「千」の字が、右足裏に「里」の字が医治方法として書かれる。こういったことは、文字符を使用したとみなされる。


催生(産気づけ)符のなかでも図形符はよく見られる。『医心方』巻二十三に引用する古医書中に治難産符、治逆産符、治胎死腹中符、治胞衣不出符などが記されている。原書中の符の書写には日本語の仮名が混じり、純正とはいえない。

 現時点で挙げられる道教経典には『太上説六甲直符保胎護命妙経』が記録する辟邪符が例となる。この経文は難産治療を専門としていて、その符は右の図のようになっている。経文は言う、「この符には朱書が用いられている。産婦は恩に感じるだろう。一切の邪妖魘蠱(じゃようえんこ)が避けられるのだから」。

 古代の術士は分娩を阻み、出産を破壊しようとする悪鬼を運鬼と呼び、運鬼を呪詛する呪法を創り出した。呑蒜詛呪運鬼法術(ニンニクを呑んで運鬼を呪詛する法術)もその一つである。

 正月一日、東に向かい、夫婦がそれぞれ呪文を一遍念じ、ついで夫がニンニクを一つ呑み、麻子(麻の種)を七粒呑み、東に向かって歩き、呪文を七遍念じる。呪文は以下の通り。


吾躡(じょう)天剛遊九州、聞汝難産故来求、斬殺不祥衆喜投、母子長生相見面、不得久停留! 急急如律令! (われ天に昇り九州に遊ぶも、汝が難産ゆえ助けを求めるのを知る。喜んで凶悪なる者どもを斬り殺そう。母子は長く生きて離れることはない。ここに長く滞在することはできない。律令のごとくしっかりと事を急げ)


 唾運鬼法術(運鬼に唾を吐く法術)というのがある。夫婦が互いに相手の唾液を受け取る。唾を吐きだしたあとつぎの呪文を念じる。


吾受東海王禁、故来追捉汝(運鬼)。


 また禁運鬼法術(運鬼を禁じる法術)というのがある。

 禹歩で三周する。左手に刀を持ち、右手に水(の入った器)を持つ。怒りの目で見て、気が満ちたところで呪文を唱える。


唾を吐け! 東方の青運鬼、字(あざな)青姫、年七十に。南方の赤運鬼、字赤姫、年六十に。西方の白運鬼、字白姫、年四十に。北方の黒運鬼、字墨姫、年四十に。中央の黃運鬼、字黃炬、年三十に。

急いで汝に唾を吐く。ここに留まることはできない。汝がもし去らなければ、我は張丞伯を派遣し、汝を捉え、縛り上げて釜茹でにするだろう。急急如律令!


 さらに多くの運鬼に言及しない呪文がある。なかには直接胎児に命令を下すものがある。たとえば「なぜ出てこない? 早く出よ、早く出よ」「遅れることなく出よ、胞衣を持って」などである。


 仏教徒が用いる催生呪文は、数が限られている。『法苑珠林』巻四十五に引用する『仏説婦人産難陀羅尼呪』が最大の梵文の翻訳である。『医心方』巻二十三に引く『大集陀羅尼経』中の治難産神呪の多くは「天書」である。『子母秘録』に記載される以下の仏呪はどれも難解ではない。ただしどれも意味が隠されている。


若以色見我、以音声求我、是人行邪道、不能見如来。(もし色、すなわち現象で我を見るなら、音声で我を求めるなら、これは人の行いとして邪道であり、如来を見ることができない)


 この書は説明する。お産のとき、墨で四句の呪文を書く。これは四符となる。水に符を入れ、それを服用すると、胎児は四符を持って母体から出てくるという。古医書や道教経典では、つねに胎児は符籙や薬物を持って出てくる。いわば怪談である。(曹雪芹は宝玉が玉をくわえて生まれたと書くが、これの影響だろう)和尚のこの種の奇跡譚も道家の影響を受けているのかもしれない。