(4)

 魏晋代以来、道士は山に入って修練するようになった。ゆえに毒蛇を避け、駆除する方法がことのほか重要になった。葛洪『抱朴子』「登渉」は「隠居山沢辟蛇蝮之道」について詳しく述べている。そのなかで雄黄を佩帯し、生きたムカデを携帯し、牛羊鹿の角を焼き、身を薫ずるなどの法術は、一概に巫術とみなすことはできない。ただ葛洪が言うには、(き)と意を念じることによって武器を禁じる法術は、基本的に巫術に属する。その方法を以下に述べよう。


 道士は山に入る前、家の中でかならず禁蛇の法を修練しなければならない。まず神経を集中し、日月、朱雀、玄武、青竜、白虎の形象を思い浮かべる。そしてこれらの神霊に体が守られていると思念する。このあと山の森や草木の中に至れば、「左取三口炁閉之」(左から三口の炁(気)を吸って体内に閉じ込める)。そして山の草地に向かって炁(気)を吹く。このとき炁(気)が赤い霧のようになり、数十里も広がっていくさまを想像する。

このように禁法を実施したあと、山に入ると、蛇に遭遇することはまれで、たとえ蛇を踏んだとしても、危害を加えられることはない。


もし蛇虫と出くわしたら、太陽に向かい、左から三口の炁(気)を吸ってこれを体内に閉じ込め、舌の先を口内の上に触れ、手で「都関」穴位(つぼ)をつまみ、「天門を閉じ、地戸をふさぐ」。[都関とは要害の地のこと。ここでは鼻のたとえ。天門は百会穴と印堂穴の間、つまり眉間と頭頂の間、地戸は会陰穴と命門穴の間、つまり性器の下と尾骶骨の間のこと。鼻・口と肛門の間に気を閉じ込める]

 あたかも指で上下をおさえ、気を出さないかのようである。そのあと蛇の頭を押さえつけるものを探し、蛇を押さえたまま、蛇の体を巻いて、地面に画いた牢獄に蛇を入れる。こうなると蛇は意のままになる。あとはこの禁法を解かなければいい。蛇のほうを向かないで「これを吹くことで炁(気)を吐く」。この蛇はこれで永遠に獄から脱出することができない。


 別のある人は蛇に咬まれ、「左から三口の炁(気)を吸ってこれを吹く」ことによって痛みを止め、癒すことができた。(蛇に咬まれて)傷を負った者と相隔てること十数里、病人の姓名を大声で呼ぶことで、炁を作る。異なる場所の男女の病人を治療するのに、呪術をおこなう者は自分の左手と右手に向かって呪文を唱える。


 山の中に入ると、五色の各色の蛇を思い浮かべる。炁(気)を閉じ込める。青竹あるいは小樹枝を用いて「蛇」を刺す。また左向きに禹歩でまわる。自身がムカデ数千匹に包まれるさまを想像する。歩くとき、蛇虫に遭遇することはない。葛洪によると、法術は著名な道士介休が創ったものである。


 葛洪が言及しているが、ブタの耳の中の灰垢と脚の指の爪にはさまった麝香は、蛇を駆逐する。というのも野ブタと麝(ジャコウジカ)はどちらも蛇を食べるからである。これらは厭勝作用を持っている。[厭勝とは、法術、呪詛、祈祷などによって人や物、鬼怪などを圧制すること]

 南方の人は山に入るとき、いつも亀(えいき)の尾と鴆鳥(しんちょう)のくちばしを身につけた。これも厭勝原理を利用したものだった。[亀は伝説中の蛇を食べる亀][鴆鳥は伝説上の蛇を食べる毒鳥。羽毛が毒を持つ]