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 清代のある文人が「祭蝗法」という文を記録しているが、これは民間の術士が書いたものだろう。この法によれば、一年のうちの何日かはイナゴの忌日である。「子午卯酉月の甲辰、甲戌は蝗(イナゴ)死日。辰戌丑未月の甲寅、甲申は蝗死日。寅申巳亥月の甲子、甲午は蝗死日」。

 蝗死日を探すのはむつかしいことではない。夏暦(旧暦)十一月が子、十二月が丑、正月が寅、二月が卯というふうに、月ごとに地支が排列どおりに並ぶ。子午卯酉月は十一月、五月、二月、八月となり、その他の月も類推できる。毎月三十日の干支も暦書から探すことができる。蝗災(イナゴの災害)が発生したなら、「蝗死日」の夜明け前、家の部屋をよく掃いて浄め、「八臘」の神位を設置する。「八臘」とは古代において年の終わりに挙行される合祭の八つの神霊、すなわち先嗇(せんしょく)、司嗇(ししょく)、農、郵表畷(ゆうひょうてい)、猫虎(びょうこ)、坊、水庸(すいよう)、昆虫である。

ロウソクと祭品を準備し、さらに一升の米、公鶏(オンドリ)一羽をそろえる。少し煮え立った湯の入った盆にいっぱいになるまで米を入れる。オンドリを殺し、その血を米の上にかける。鶏血をかけて混ぜた米を神前にそなえ、拝する。最後にこの米をイナゴのいるところにまんべんなくまく。米をまいたあと、イナゴは斃れるか、あるいはどことも知れない方向に去っていく。霊験あらたかである。


蝗災(イナゴの災害)は洪災(洪水の災害)と似て、容易にはなくすことができない。滅蝗法術は失敗しやすく、巫師がこの法術を伝播していたとしても、実際の影響はそれほど大きくなかった。

 唐玄宗の時代、方術大師は非常に多かったが、葉法善、羅公遠、不空和尚といった名高い面々でさえ、開元四年の大規模な蝗災のときには「捕埋」をおこなうことしか手立てがなく、術士がイナゴの撲滅には無力であることをさらけだしてしまった。

 「飛ぶイナゴが災害をもたらす」という記述が絶えなかったことが、歴代の術士がイナゴの災害に無力であることを説明していた。これまで引用した滅蝗呪法が観念の領域に限定され、いまだ本格的に実践されていない可能性はあるだろう。ひたすら実用性が求められた雨乞いの巫術や関連した儀礼とはおなじように語ることはできないのである。