古代中国呪術大全 宮本神酒男訳
第3章
15 憎みあいをさせ、憂いを祓う
(1)
他人の感情を切り裂き、互いに憎悪させるのは、愛のまじないをする者が慣用的に用いる卑劣な技術といえる。相憎術とは致愛術の変種である。悲哀や憂愁の感情が発生するが、致愛とはもともと関係ない。『医心方』には「人を相憎ませる処方」「人をぼんやりさせる処方」「淫蕩や嫉妬をやめさせる処方」などが「互いを愛させる処方」とともに並ぶ。
(2)
馬王堆3号漢墓出土の『雑禁方』に言う、「犬の頭を東西に向(嚮)い合せて置き、(それから作った薬を)燔冶(治)し、つまり炙り、(それを)飲むと、夫婦は相去る(わかれる)」と。この一節では、夫婦を相憎ませ、別れさせるにはどうしたらいいか語っている。この「犬の頭を東西に向い合せる」というのは、二匹の犬を殺し、頭を東と西に、つまり向い合せて霊薬を作るということである。『雑禁方』の作者の見立てによれば、二匹の犬を、一匹は東に、もう一方は西に向くように置き、それらの頭をはねる。はねた頭をよくあぶり、灰になるまで搗(つ)いて、その灰を水に入れる。そして呪術をかける相手をだまして水を飲ませる。そうすると夫婦は互いに嫌うようになり、最後には別れることになるという。
『雑禁方』によれば、飲用の犬の頭の灰を使って人を相憎ませる法は、とくに珍しい呪術ではないという。古代呪術師、とくに漢代の呪術師は、夫婦や友人のカップルのベッドや衣服の中に犬の尾や馬の毛を入れておくと、彼らは憎みあい、恨みあうようになると信じていた。『淮南万畢術』に言う、「馬毛と犬の尾、親友、自ら(関係を)絶つ」と。注にいわく、「馬の毛と犬の尾を取って友人の衣服の中に、若い夫婦の衣服の中に置く。夫婦は互いに憎むようになる」。『如意方』ではさらに具体的な解釈をとる。「馬の髪(たてがみ)と犬の毛を取って夫婦の寝床に置くと、夫婦は相憎むようになる」。比較し分析すると、『淮南万畢術』のいう馬毛とは馬の体毛ではなく、馬髪、すなわち馬鬣(たてがみ)のことである。『如意方』のいう犬毛も犬の体毛のことではなく、犬の尾の毛のことである。
馬のたてがみ、馬の尾、犬の尾は、相憎術を実施する際に使われる霊物だが、基本的に単純な連想から来るものだ。『説文解字』に言う、「馬、怒なり、武なり」と。馬の古音は怒、武と同韻で、馬の名は、善怒にして、威武であることに由来すると許慎は認識している。[馬は首をあげて怒って吼え、勇武にしてよく戦う]
古代文献中、駿馬は狂奔すると「怒歩」と呼び、策馬が疾走すると「怒馬」と呼んだ。『急就篇』によると、いわゆる「騏(き)駹(ぼう)馳(ち)驟(じゅ)怒歩を超える」。『左伝』「定公八年」のいわゆる「林楚は(速く走るために)馬を怒らせ、大通りを疾駆させた」は好例となるだろう。社会ではすでに馬が使われ、怒るという観念があり、呪術師はそれらの影響を受けていたのだろう。彼らは馬が怒ると化身することを知っていた。また駿馬が怒ったときたてがみや尾が明らかに変化した。彼らはそれらに駿馬の怒気が現れるのを知っていた。彼らはこれから類推して、たてがみや馬の尾からできた灰を寝床や衣服の中に入れれば、馬の怒気が伝わり、憤怒となって友人や夫婦関係に影響を及ぼしたのである。これと似たものが、犬の善き吠えたてと善き咬みつきである。古代には㹜という造語があった。これは二匹の犬が咬みあっている様子を表している。これから訴訟で争う「獄」という字が生まれた。人をだまして犬の頭の灰を飲ませ、犬の尾を寝床や衣類に入れる相憎呪術は一種の交感呪術である。それによって犬が咬みあうように仲たがいするのである。
(3)
相手の姓名を桃板の上に書いて処理を施す致愛法は、互いに憎みあいをさせる相憎法に転用できる。『霊奇方』に言う、三寸の長さの桃枝にふたりの姓名を書く。その桃枝を十字路の地面に埋める。ふたつの姓名を代表する人たちは互いに憎みあうようになる。この法術は、一方では伝統的な辟邪霊物(魔除け)である桃木の運用であり、もう一方では相手の姓名と霊魂が、十字路の行き来する人々に踏みしだかれるのを想像することになる。
哀しみと憂いを解除する法術は、秦代以前にまでその起源をさかのぼる。春秋時代の人はすでに萱草(かんぞう 忘れ草)には人に憂いを忘れさせる効能があると認識していた。『詩経』の「伯兮(はくけい)」には女性の口調をまねた詩がある。
「焉得諼草、言樹之背、願言思伯、使我心痗」
内容はつぎのとおり。
「どこに行けば諼草(かんぞう 忘れ草)を手に入れることができるでしょうか。わたしはその種を北堂の下に植えたいのです。というのも遠くの人のことを思うと、身も心も憔悴してしまうからです」。
思い煩っているため、諼草(忘れ草)を植える必要がある。というのも「諼草は人の憂いを忘れさせる」と信じられていたからである。諼草は、普通に言う萱草のこと。
李時珍によると、萱草は古代において忘憂、療愁、妓女という名で呼ばれた。
李時珍はまた李九華『延寿書』を引用して言う。萱草(忘れ草)の若苗を用いて食事を作ると、「これを食べると風が動き、人は酔ったかのように頭がくらくらする。ゆえに忘憂と名づける」。もしこの解釈が正しいなら、萱草忘憂法とは一種の麻酔術で、巫術ではないことになる。ただしほとんどの医書は萱草に麻酔作用があるとは言及していない。
李時珍がこの説を記録したとき、詳しく述べると言ったにすぎない。「伯兮(はくけい)」では、萱草の種を北堂に植えれば憂いを忘れると明言しているが、これと合歓(ねむ)の種を植えて怒りを止めるのとは同類の方法と言える。ここにおいて、「萱草は人に憂いを忘れさせる」という伝承が巫術意識と関係があることは認めてもいいだろう。
のちに萱草は男の子が生まれる吉祥物となり、「宜男草」[これを身につけると男の子が生まれるという草]と称せられるようになるが、それは萱草が人に憂いをなくさせるという古い観念から派生したものと言えるだろう。
萱草忘憂術が医薬と巫術の混合物であったとしても、秦簡『日書』「詰篇」の言う忘憂術は典型的な巫術である。この書に言う、ある人がゆえなく憂いを感じるとき、桃梗でその者をよく撫でる。そののち、癸の日の日没時に、桃梗を大路にほうるとともに大声で叫ぶ。
「〇〇はすでに憂鬱から解き放たれている!」。桃梗で体をこすると、心の中の憂愁が桃梗に吸い上げられるように感じる。
桃梗を大路上に放擲するのは、憂愁を送り出すという意味である。この種の免憂法術(憂いを免れる法術)は、感情をコントロールする法術のなかでも典型的なものである。桃梗で憂いが解消できるなら、悲哀や情念、憤怒を免れるために、同じ方法でもいいのではなかろうか。施術者が賢明にもおなじことをおこなうなら、あとは呪文を「〇は悲しみを免れている!」「〇は怒りを免れている!」などと、言葉を少し変えるだけで充分なのだ。
(4)
憂愁と関連した情念や未練といった感情は、術士がコントロールする対象である。『淮南万畢術』は言う、「かまどの前の(一つまみの)土を持っていれば、故郷を思い焦がれることはないだろう」。
具体的には「かまどの前三寸(4cm)のところの半寸四方(2・7cm)の土を取り、これをもって遠出をすれば、人は故郷に思い焦がれることはない(ホームシックにならない)」。つまりかまどから三寸離れたところの土を半寸四方ほど取って懐に入れていれば、故郷を遠く離れた子供は家のことを思い起こすことはない。
竈神の神聖さによって、かまどの前の土は霊性を帯びる。携帯したかまどの土は、かまど神を携帯したのと変わらない。家庭の主神を携帯するのは、家庭そのものを携帯するのに等しい。遠く離れた者は、つねに家庭や家族といっしょにいるような感覚になる。ある一定の感情を持つことになるが、それと収蔵物に郷愁の気持ちを持つのとは区別されるべきだろう。
『淮南万畢術』は、子供の母親への未練を断ち切る法術について述べている。
「塚墓の黍を食えば、母のことを思わない」。具体的には「新しい墓の前に祀ってある黍を食べれば、母のことを思わなくなる」。
子供は新しい墓の前の黍飯を食べれば何が変わるのだろうか。どうも論理的ではない。陳蔵器は、正月一日に古墓に行き、墓のレンガを取り、正門の上に置けば、辟除災病となる。これは一種の「鬼でもって鬼を制す」的な方法である。両者を比較するに、子供に母親のことを思わせない法術は、鬼飯を用いて子供の霊魂を圧することである。
[ここで「母のことを思う」子供は、死産の子や一、二歳で死んだ子供のことである。幽霊となって母親にまとわりつく子供の霊を慰め、冥界に送る必要がある]
(5)
古代術士は多くの駆怒方法(怒りを駆逐する方法)を編み出している。秦簡『日書』「詰篇」に言う、「人はゆえなく怒(弩)ってはいけない。戊の日、日中は道で黍を食べれば、突然、(怒りは)止む」。ある人は脈絡もなく怒り始めるが、戊日正午、路上で急に黍飯を食べ始める。すると怒気は自らおさまる。この駆怒法と上述の子に母のことを思わせない方法は、黍飯を食べるという点においては同じであり、両者にはあきらかに関連がある。
子供の母を思う気持ちは、しばしば「泣き止まない」という表現を取る。泣き止まないのは、怒りが激しいことを目に見える形で示しているのである。子供が母を思うのを防止する法術を借用して、怒りを止めるのに使用する法術なのである。この分析が成り立つなら、『淮南万畢術』の子供に対処する方法は、伝統的な止怒法術の基礎の上に形成された可能性がある。
合歓(ねむ)が人の怒りを取り除く伝説と、萱草(忘れ草)が人の憂いを忘れさせる伝説は、広がりが同程度であるいえるだろう。
怒気を解除することを蠲憤(けんふん)という。合歓は喬木であり、合昏、夜合などの別名がある。『神農本草経』に「合歓は怒りを消し去り、忘れ草は憂いを忘れさせる」という記述があり、三国時代の名士稽康也は「合歓は怒りを消し去り、忘れ草は憂いを忘れさせる。愚かさと知恵あること、ともに知るなり」と述べている。この二種(合歓と忘れ草)の霊物は、迷信がもっともさかんだった頃のものだ。
晋人崔豹はつぎにように描く。
「合歓の木は梧桐(あおぎり)と似て、枝葉が繁り、互いに結び合い、風が吹き来るたびに互いに離れ、絡み合わないようにする。庭に合歓の木があれば、人は怒りの気持ちを持たない」
ただ合歓の木を庭院に植えるだけで憤怒を解消することができた。これは萱草(忘れ草)を北堂に植えて憂いを忘れる法術と基本的には一致する。いにしえより今に至るまで、蘊結(うんけつ)、苑結(うんけつ)、鬱結(いくけつ)といった煩悶や鬱屈が蓄積した心情を表す字面の言葉を用いてきた[三つの言葉とも意味は似ていて、鬱憤がたまることである。苑はこの用法のみ「うん」と読む]。もつれあった心情も、ひとたびきれいに流せば、怒りに火が着くことはないものだ。合歓の木が「風が吹き来るたびに互いに離れ、絡み合わないようにする」特徴を持ち、人の感情と似たところがあるとするなら、それに頼る人からすれば憤怒を解消するよいものである。基本的に同じ理由から、合歓は忘憂霊物(憂いを忘れさせる霊的なもの)である。
『神農本草経』は合歓の木の樹皮が「五臓を安んじさせ、心臓をなごませ、憂いがないことを喜ばせる」効能があるとし、朱熹(『詩集伝』)は『伯兮』の解釈において「諼草、合歓、これを食べれば憂いを忘れる」と述べている。どちらも合歓、萱草とも同じ効能をもつと認識している。つまり怒りは止まり、憂いは解消する。古代の巫術の領域では、霊物を使用する霊活(スピリチュアルな活動)は珍しくない。
(6)
一部の致愛術(愛の呪術)は、用途が近いということもあって、解怒術(怒りを解く法術)に転用できる。『霊奇方』に言う、「怒りを解くために、かまどの前の土を三尺(1m)ほど掘り、その人の髪を埋めるといい。怒りはおさまるだろう」。
この解怒法のもととなったのは、「髪をかまどの前に埋めれば、婦人は夫の家の和睦を確保することができる」という致愛術から来ている。夫の家の和睦を婦人が確保し、怒りがないことと、怒りを解くことは相通じる。ゆえに『霊奇方』は、伝統的な致愛術を、一切の憤怒を解くことに転用する。
以上の法術以外にも、古代には悲哀を取り除く法術があった。『日書』「詰篇」に言う、「ある人が悲しみを忘れられず、丘の下でエノコログサを取った。その葉二七枚(14枚)を拾い、東北に向かい、これを食べる。そして横になれば、哀しみは止む」。丘の下のエノコログサの葉十四枚を残らず拾い、北東に向かって葉を食べ、このあと横になって休息をとる。久しく思い煩ってきた悲しみが消える。
この書はまた言う。「ゆえなく悲しい人は、一尺の長さがあるが中間が折れている桂を、望の日の日の出のときに食べる。そのあとこれを申(さる)時も餔(た)べると、やむ」。[餔とは、申時、すなわち午後3―5時に食べること]
一尺一寸の長さの桂枝一本を半分に折る。十五日の太陽が昇り始めたとき、桂枝を食べて半分に折る。食べ終えるとまた、晩御飯を食べる。止めても、ゆえなくまた悲しみが生まれる。古代医家が言うには、桂には肉桂と牡桂がるという。長く服すると、「神仙不老」「軽身不老」といった効果がある。
「詰篇」は桂枝を生のまま食べることを要求する。人にむつかしいことを強いてしまったようだ。のちに桂が薬として認定されると、多くの人は桂の粉末を服用するか、桂湯(スープ)を飲用した。