(5)攻悪鳥
春秋時代、禳殺梟鳥(じょうさつきょうちょう)の法術をおこなう巫師がいた。『周礼』に記された王官のなかには妖鳥の駆除を専門とする硩族(てきぞく)氏と庭氏の両官があった。硩族氏は「夭鳥」の巣の破壊を専門としていた。「夭鳥」とは、とくに鴞(よう)、鵩(ふく)などの「悪鳴の鳥」を指す。[鴞はフクロウ、鵩はミミズクと考えられる]
硩族(てきぞく)氏は非常に特殊な駆鳥法を用いている。木板上に十の天干、十二の地支、陬(すう)や如など十二の月、摂提格や単閼(ぜんえつ)など十二の歳陰、また二十八宿などを書く。
これらの木板のうち五方向と関連したものを鳥の巣の上に掛ける。すると妖鳥は自ら飛び去って行く。
鄭玄は言う。「夭鳥はこの五つの木板を見ると去っていく。しかし詳しいことはいまだ聞かない」。この法術は漢代にはほとんど用いられなくなっていたのである。
一方庭氏は国中の夭鳥を射る官(役人)である。同時に一切の怪声を発する妖物を射る役目を担う。夜間に鳥や獣の鳴き声が聞こえ、その姿が見えないとき、救日の弓で救月の矢を夜空に向けて発射する。もし声が鳥の鳴き声、獣の吼え声でなければ、それは怪なるものに違いないので、救月の弓で救日の矢を、声の発するところに射ち込む。
後漢の術士は「甑瓦止梟鳴」(そうがしきょうめい)法術を有していた。甑(こしき)とはごはんを蒸すための瓦器である。宋人は『物類相感志』のなかでこの法術について説明している。「瓦甑の契を梟に投げつければ止む」と。その注が言うには、「甑(こしき)から瓦(かわら)を取り、契という字を書き、壁の上に置く。フクロウの声が聞こえたら、それを投げつければ自ずと止む」。
古代の民間には、フクロウの鳴き声を聞いたら不吉を祓うために唾を吐き、塗布する習慣があった。それについては唾吐き法術の章で詳しく述べた。