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 秦代以前の復礼について考察したい。

 周代において死者のための葬送でまず重要なのが招魂儀式である。当時はこれを「復」と呼んでいた。「復」とはすなわち魂を招き、魂を復するという意味である。この儀式を行う目的は肉体から遊離した魂魄をふたたび死者の体内に入れ、文字通り「起死回生」をはかることである。

 『儀礼』「士葬礼」などの文献によれば、周代、士の階層の貴族が死ぬと、まず死者が生前着ていたもっとも高貴な服装「爵弁服」(褐色の上着と赤い袴)の上下を縫い合わせる。「朝服」(朝廷に出仕するときの服)を着た招魂者は、この爵弁服を左肩の上にのせ、爵弁服の襟を自分の帯に挿し、そのあと家の東南の角から屋根に登り、屋根の中央に立つと、北を向き、左手に爵弁服の襟を持ち、右手に衣の腰回りのところを持ち、衣を振り回しながら叫ぶ。

「ああ、某よ、復せよ」。ああ、と長嘯し、某(死者の乳名)の名を唱える。「某よ、復せよ」とは「某よ、戻って来い」という意味である。これを三度繰り返し、招魂者は左まわりで南を向き、爵弁服を家の前へ放り投げる。屋根の下には衣装箱を持った人がいて、爵弁服を受け取る。そして東側の階段を上がって母屋に入り、招魂の衣服で遺体の上面を覆い隠す。招魂者は爵弁服を放り投げたあと、家の西北角の庇(ひさし)を壊して(魂が出入りしやすいよう)穴をあける。ここに至って、招魂儀式は完成したと宣言する。

 復礼の多くの儀式は巫術の意識や原始宗教信仰を基礎としていた。招魂の衣、招魂の方向、呼びかけ、拆洞(たくどう。穴あけ)などに注目したい。

 死者が生前に着ていた服を用いて招魂をするのは、典型的な接触巫術である。巫術をおこなう者は死者が接触したものと亡霊との間にはなおも密接な関係が保持されていると信じている。周代の復礼において服を通じて死者に対して巫術をかける場合、二つの段取りがある。まず魂魄を衣服の上に招く。そして衣服で遺体を覆う。つぎに衣服の上の魂魄を死者の体内に導く。接触巫術の原理を分析すると、前段部分は比較的原始的であり、後段部分はあとから追加されたと考えられる。つまり招魂礼の古い形態において、招魂者は魂魄を衣服に戻す。ほかのことをする必要はない。というのも彼らは衣服の上の魂魄が遺体に向かうと信じているからである。のちの人から見れば、衣服に魂を招いたところで、また招魂の衣を遺体にかぶせたところで、「起死回生」することは不可能なのだが。