(4)

 『後漢書』「方術列伝」には返形術に長けたたくさんの後漢の方士の名が記載されている。「章帝の時代に寿光侯という者がいた[劾鬼者、すなわちゴーストバスター]。百鬼衆魅(たくさんの妖怪)を脅して、自らを縛らせて姿を現出させた。

また頴川(えいせん)に劉根という者がいた。呪術(法術)の腕がたった。劉根は嵩山(すうざん)に隠棲していたが、千里をものともせず遠くから道術を学ぶために志のある人が集まった。

当地の太守史祈は劉根が怪異で大衆を惑わしていることに気づき、彼を捕まえて郡府につきだした。彼の行っていることは効果があり、あきらかに技能があった。劉根は顔を左に向け、長嘯を発した。しばらくすると史祈はかなり前にこの世を去った祖父、父、近親ら数十人の姿を見た。みな囚人のように手を縛られていた。彼らは劉根の前にやってくると叩頭して謝罪し、また亡霊を巻き添えにしたことで史祈を罵った。史祈は彼らの驚き、恐れ、悲哀を見た。血を流しながら頭を下げ、亡霊にかわって懲罰を受けてくれないかと懇願した。劉根ははじめ黙って声を出さず、瞬く間に人・鬼すべて死んでしまった。(……)

後漢後期、一時的にさまざまな巫術が流行した。術士(呪術師)の門徒は非常に多く、民衆へのアピールはきわめて大きかったので、現政権にたいする脅威となった。統治者とは激しくぶつかったのである。

孫策は于吉を殺し、曹操は左慈を殺そうと欲し、史祈は劉根を殺そうとした。みなある種の葛藤があったのである。統治する側には腐った部分があるので、術士(呪術師)に広く同情が集まった。そのためこの種の葛藤から衝突が生まれる伝説の中では、術士(呪術師)が最後に勝利を得ることになる。

劉根伝説が形成されるとき、返形術の迷信はますます利益を得る。少翁は亡霊を招返し、帳を設置し、酒を置いた。劉根は臨機応変に呪術をおこなった。少翁は一人の姿を出現させるのが精いっぱいで、劉根は一群の鬼魂を招いた。少翁は夜間に呪術をおこない、劉根は白昼におこなった。少翁は白日に飛翔する奇跡は見せられず、劉根は風のごとく飄然と、一瞬で人や鬼を死なせることができた。伝説中の術士(呪術師)の本領はますます発揮され、世の人の返形術の信仰はますます篤くなるのである。