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薛君亮(せつくんりょう)の追魂の術も、返形術の一種であるのはあきらかである。薛氏は大きな鏡を設置し、暗いなかで霧を放出する。特殊な装置を使って亡魂が姿を現したように見せたのである。この法術は、古代の他地域で見られた。
「エジプトの祭司はいつも自分の神殿のなかで神像を白い煙霧に反射させていた。揺れ動く幕を銀幕のように用いて、人間の姿や人の顔を作り出した。あらかじめ人の姿や彫刻を煙霧に投射させておけば、装置として十分だった。古代エジプトでは祭司が鏡を用いたが、カリオストロの時代(18世紀イタリア)には幻灯を用いた」。
薛君亮には絵描きの才能があり、記憶によって死者の輪郭を画き、人の像を描くことができた。大鏡を用いて、壁や白紙の上に、その煙霧に縁どられた像がゆっくりと現れた。
招魂返形術は、典型的なニセ巫術である。多くの人が招魂返形術の秘密の部分がわからないが、えてして荒唐無稽の面を見てしまう。
五代十国後蜀の何光遠は言う。後唐の時代、「楊遷郎という術士がいた。よく鬼神を使い、物に触れただけで(物が)変化した。これを見た人は彼を奇人[傑出した能力を持つ人]と呼んだ。やろうと思えば人を殺すこともできたが、霊異を起こすことはなかった」。
楊遷郎(ようせんろう)の叔父楊勲曽(ようくんそう)は王氏蜀国(前蜀)で活動していた。「九天玄女や后土夫人[土地の神様]を呼び、窓の簾帳(すだれ)から中に入れ、後に帰した。
足を一本切断し、西の市で斬首しても、薬も巫術も効果がなかった。しかも遺体が悪臭を放ち、見る者に嘲笑されるだけだった。[このエピソードは『史記』「扁鵲倉公列伝」に出てくる。秦武王在位のとき、斉国淳于髡(じゅんうこん)が秦武王の治療を担った。武王が病気による痛みに耐えきれなかったので、名医扁鵲を召集した。扁鵲は診断したあと、足を切る治療が必要だと考えた。ところが武王は讒言を信じ、扁鵲が彼を殺そうとしていると思い込んだ。そこで扁鵲の足を切り、斬首するよう命じた。しかし武王の病気はよくならず、最後には病気が癒えないまま亡くなった]
術士は鬼神を召喚することができたが、自分の足を守ることができなかったのだ。これはどうにも説明できないことである。歴史上、招魂術の神話は多いが、術士自らが暴露することが多かった。