第4章 03 招魂(下) 降神附体など諸々の招魂術 

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 招魂術には降神附体、視鬼役鬼、収撮生魂などの形式がある。道士がつねに用いる自身の魂魄をコントロールする方法、そしてその性質と招魂術はよく似ている。超自然的な力量を運用して鬼魂、生魂をコントロールし、最終的に人をコントロールし、操るのを目的とするのは、巫術に共通する特徴だといえるだろう。

Ⅰ 降神附体  

 降神術と復礼および返形術とはまったく異なるものだ。それが召喚するのは死人ではなく、祖先の魂魄であり、神霊や鬼怪である。術を施したあと、神霊が降りる対象はおなじではない。降神術はおおよそ三種類ある。すなわち巫師の体に降りる神霊附体、他人の身体に降りる神霊附体、そして器具に降りる神霊附体である。

<自身の身体に降りる> 
 巫師は自身に神を降ろし、自身を神霊の代弁者とする。すべての降神術のなかでもっとも早く流行したものと考えられる。巫の原形は舞いによる降神である。舞踏によって恍惚状態に陥り、神霊が附体したことを顕示する。秦代以前の楚人は祭神儀式上の巫覡(ふげき)を「霊」あるいは「霊保」と称した。そのため降神のあと、巫覡は神の化身と見られた。

五代人の譚誚(たんしょう)は言う。「祭祀をするとき、魑魅魍魎は巫の身上に附く。巫の口を借りて発生する禍福のことを予言する。毎度巫の身上に附着するとき、話すことばと食べる飲食は常人と異ならない。巫の(魑魅魍魎が附いた)体を離れるとき、話すことばや食べる飲食は常人と異ならない。魑魅魍魎が巫に附いたのか、巫が魑魅魍魎に附いたのかわからない」。譚誚の説は、古代の巫師の降神活動を言い表しているだろう。

 神が降りたときの動作、声、傍観者へのそぶりは強力な感染力を持っている。もし傍観者が敬虔な巫術の信徒であるなら、感染力はさらに増大するだろう。巫術はこの種の感染力を通じて人の精神状態を奇跡の創造から変えることができる。たとえば巫師の「下神」(神降ろし)を経て全快する事例はそれほど多くない。しかし個別の霊験不足は巫術の本質を変えるものだ。葛洪はかつて「巫祝小人」を厳しく非難した。彼らがでたらめを言い、たたり、病気を装い、お金をだましとるなどの行為が許せなかった。後世の人々は降神をする者にたいしてときには恥ずかしく思い、ときには嘲笑した。

他人の身体に降ろす> 
 巫師はときには神霊を他人の身体に降ろすことがある。神の代理の発言をし、自分を抑えきれずに大笑いし、舞踏し、拳や棒を使って演習する。

宋人洪邁は言う、「漳泉の間の人は『濊跡金剛法』を持して治病除災し、童子に神が降りて語る」。濊跡金剛法とは梵呪(陀羅尼)である。

清人が記す『閑処光陰』にも梵呪(陀羅尼)が記録されている。他人に降神させる法はおもに児童に降ろさせる。明・清人はこれを降僮、あるいは舞仙童と呼んだ。

清代末期にこの呪法の影響が多きくなり、義和団のなかでも降神練武の法術があった。初心者の神拳をおこなう者は神壇の下でひれ伏し、いわゆる大師兄なる者が符を焚焼し、呪文を誦し、神を請い、上下の歯をしっかりと噛み、口で呼吸した。にわかに口から白い泡を吐き、高らかにことばを述べた。「神よ、降りるがよい!」。その人は刀と棒を持ち、おもむくままに舞い踊った。

器物に降ろす> 
 器物に神を降ろす法術とは、吉凶を占う扶箕(フーチー)、圓光、降廟などである。扶箕は扶とも書く。また飛鸞(ひらん)、神、降仙とも称される。そのやり方とは、まず丁字形の木切れ(棒の一方の端が曲がって垂れているか、筆を付ける)を砂盤や紙の上に置き、字を書く。文字や句(フレーズ)によって吉凶を占う。

 明清の時期、上は皇帝、大臣から下は士人、庶民に至るまで箕仙や扶箕術を信じていた。このあたりのことは許地山『扶箕迷信的研究』に詳しい。

 円光は卦影とも言う。術士(呪術師)は符を焚き、神を招いたあと、紙や鏡の中に、あるいは水中に未来、未知の風景を現出させる。『閲微草堂筆記』巻九「壁に白い紙を張り、符を焚き、神を招く。五、六歳の子供がこれを見ると、かならず紙の上に大円鏡が現れる。鏡の中に人がいて、未来のできごとを示す」。これは円光術の一種である。

 『子不語』巻二十二「降廟」には粤西(広西)の降廟の法について詳しく述べられている。それがどういうものかというと、まず廟に行って中で卜卦をおこない、神を降ろす。降神が成功すると、水を満たしたお椀の上に八仙桌(テーブル)をさかさに置く[八仙とは鉄拐李、鐘離権、張果老ら八人の仙人。八仙桌は伝統的なテーブル]。そのとき四人の童子に指で卓を持ち上げさせる。降神をする者は呪文を唱えたあと、木卓の周囲をまわりだす。「そののち薬方に頼み、(薬で)効験なきものはなかった」。降神者は神霊をおのれの身体に降臨させると、ふたたび符を用いた呪術をおこない、霊力を童子と木卓に伝えた。

 降神術をおこなうことでしばしば童子と器物に常ならぬ現象を作り出させた。部外者にはなかなか理解しづらいことである。奇跡が発生する真の原因を解明する前に、宋人王陽玄が語る故事からこの神術の性質について推論してもかまわないだろう。陳増の妻は巫祝李恒に呪術をやってもらった。李恒が水盆に白紙を入れると、二匹の鬼に女性が引き裂かれる画が現れた。陳の妻はそれを見て激しく恐れおののいた。陳増はこのことを聞いて厳しく対処することを決意した。

 二日目、陳増は李恒を呼び、もう一度紙を水中に張らせた。紙の上に現れたのは、十匹の鬼がひとりを引き裂く画だった。その人の頭の上には姓名が書かれていた。「李恒と書かれている」。李恒は慙愧の念に耐え切れず、その場から出ていった。李恒の招鬼の術は薄っぺらで、十分ではなかったということである。ただ陳の妻という一流の眼の中にのみそれは神秘的であるとともに、形容しがたい恐怖だったのである。













 

 




つづく