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Ⅳ 自身の魂魄制御 

 古代道士の魂魄に対する分析は相当精緻だった。彼らは言う、「魂は人生を欲す。魄は死を欲す」。魂は陰陽半々、魄はすべて陰類に属す。魂は陰魄を制御して邪気と交わらないようにする。魂には三種あり、三魂、三命などと呼ぶ。三魂にはそれぞれ名称がある。一つは「胎光」。純陽の気を代表する。主に性命と関係する。一つは「爽霊」。主に財録と関係する。もう一つは「幽精」。主に災害や病気と関係する。最後の二つはどちらも陰気に属する。三魂は人が誕生したあと正月七日、七月七日、十月五日に分かれて人体に附着する。このあと初めて降りた日に上天に人の善悪を報告する。これは「本会の日」と呼ばれる。

 このほか一度の小集会がある。甲子の日、胎光は上天し、庚申の日、爽霊は上天し、本命日に幽精は上天する。魂は人体から遊離し、魄はふたたび戻ってこないことを願う。しばしば機会に乗じて陰鬼と結託して人を病気にし、害する。

道士は三魂捕獲を、修道長生のための重要な任務ととらえ、また研究したことから多くの「拘三魂法」が生まれた。たとえば比較的簡単なものにつぎのようなものがある。夜が明ける前、三度叩歯し、三魂の名を三遍呼び、就寝時にまた名を三遍呼び、それから呪文を唱えた。

「胎光延生、爽霊益禄、幽精絶死。急急如律令!」

 効果は抜群で、「毎日このようにすれば、魂が人から離れることはなく、予期せぬ災害や害鬼凶伸によって害されることはない。遊夢が変じて怪となることもなかった」。

 魂魄を構成するのは三魂のほかに七魄だ。名は屍狗、伏矢、雀陰、呑賊、非毒、除濊、臭肺である。月朔(月の初日)、月望(月の十五日)、月晦(月の末日)の夕暮れ時は七魄がふらふら漂う頃である。彼らは鬼魅や屍精と結びつき、あるいは魑魅魍魎に変成して人体に害をなす。

「障害や病気になることは、みな魄の罪である。幸せな人の死は、みな魄の性(さが)である。欲深い人が負けるのは、みな魄の病である」。

 このためさらに厳しい手段で七魄を威嚇し、コントロールする必要がある。魄をコントロールする方法にはつぎのようなものがある。枕をはずしてあおむけに寝る。胸の上で両手をこすり合わせる。ついで両耳をふさぐ。頭の上で両指先をくっつけて、手のひらを上にする(普通の人にはなかなかできない)。七度息を止める。鼻の先から白い霧が噴出するのを想像する。はじめは小豆のように小さいが、次第に大きくなり、それが九層に分かれ、全身を覆う。

 また白い気体が天獣に変成するのを想像する。両目にはそれぞれ青龍がいて、鼻孔にはそれぞれ白虎、左足の下には蒼亀、右足の下には霊蛇がいる。体には玄錦衣をまとい、両手に火を持つ玉女がそれぞれの耳の中に立っている。観想し終わると、七度唾を飲み込み、七度叩歯し、七魄の名を呼び、呪文を唱える。

「素気(白い霧)九迥(けい)、制魄邪奸、天獣守門、嬌女執関。亡魂和柔、与我相安、不得妄動、観察形源。若汝飢喝、聴飲月黄日丹」。

道教経典中にはよく似た「魂魄の捕え方」がいくらでも出てくる。これらには煉気による経験的なものも含まれているので、まったく価値がないとはいえない[実際に内丹の魂魄を捕える法を実践しているので、ある意味価値がある]。とはいえ巫術の副産物であることに間違いはなく、魂魄活動の全体的性質のコントロールを変えるほどではない。