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この巫術案件に始まって、王万里の件を含む妖術を信じこんだゆえの殺人などの罪状は真実だろう。おそらく王弼が故意に術士を迫害しようとしたのも実際は冤罪の案件だろう。もちろん実情がどうであろうとも、本件が常軌を逸していて、驚くべきことだったのはまちがいない。術士ら告発者から司法部門に至るまで、すべての人が採生(生魂を得る)妖術の威力はすさまじいと、そしてすべての霊魂は半分人間、半分鬼(幽霊)でできていると信じて疑わなかった。
採生妖術の迷信は全国各地に広がっていった。元代末期の社会には重苦しい妖気と鬼気が瀰漫していた。各地を流浪する術士は「呪取生魂」(呪術をかけて生きた魂を奪う)によって偶像を駆使する秘法を伝播した。
ときには聡明な少年少女を殺し、法術に磨きをかけて、迅速に富を得たいという欲望を満足させた。術士らは紙人でもって生魂の体を象徴した。つまり頭髪で紙人をくるみ、生魂を移した。また紙人に五色の彩絹や五色の糸をつけて伝統的な巫術霊物とし、紙人にさらなる強大な魔力を与えた。こうした手法は模倣巫術や接触巫術の原理を応用したものであり、古代巫術とかなり密接な関係にあった。
王万里の自供には、お金をもうけるために生魂を売るとか、自分で作り出すといったことへの言及はなかった。官府は王氏の住居の家宅捜査をしたが、値が張るものといえばせいぜい二個の琥珀くらいのもので、ほかは木印、紙人、頭髪、護符、瓢箪(ひょうたん)といった類のものだった。
王万里は南方の人で、北国に流れ着いたが、住所不定、食べるのがせいいっぱい。「葬家の犬」(身のよりどころがない)同然であり、着た切りのみじめな生活を送っていた。このことだけでも術士がなぜ嘘を吹聴し、官府に採生妖術の威力を大げさに言ったか説明できるだろう。実態はといえば幻想にすぎず、意識の上だけのことなのだ。
陶宗儀らは王万里の案件についてほとんどドキュメンタリーのように記述している。こうした法術の類の描写に、文学者気質でさらに想像を付け加える傾向はあるが。
『聊斎志異』「妖術」では、算命先生(占い師)が于公(うこう)に向かって「あなたは三日後に死にます」と予言する。予言を当てるため、先生は三日目の夜、偶人(人形)を駆使して祟りを起こした。しかし于公はまず紙人をぶったぎり、ついで土偶を叩き壊し、最後は巨大な鬼と取っ組み合いをした。
于公が猛然と大鬼の脇腹に切りつけると、カーンという音が響いて大鬼は前にばたりと倒れて、硬直した。于公がさらに弓を放つと、さらに拍子木のような硬い音がした。明かりで照らして見ると、それは人のように背が高くて巨大な木偶(でく)だった。弓矢を腰に巻いた木偶に彫られた顔は凶悪そのものだった。そのあちこちに剣を刺すと、どこからも血が流れ出た。