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術士は他人を呪詛する方法を知っている。他人もまた同様の方法で術士に対抗してくることを考慮しないわけにはいかない。招神役鬼(神を招き鬼を使役する)の術があるなら、送神遣鬼(神を送り出し、鬼をやる)の方術がある。攻撃の術があるなら、祓解(災いを祓う)法がある。攻撃術が長期にわたって流行したあと後者ができるのだとしても、術士は基本的に遅かれ早かれ破解(相手の呪術を解く)法の研究をする必要がある。
漢代の巫蠱活動が広まって大きな問題になったとき、朝廷はただ捜査し、犯人を捕まえ、処刑するだけだった。当時は巫蠱術の破解法(術を破り解決する方法)が知られていなかった。道教が形成され、仏教が伝来したあと、この種の破解法が確立された。道士と高僧は巫蠱術を見ることができなかったが、法力と呪符でこれらの攻撃を破解する自信があった。
方以智[1611-1671]は仏教と道教が入り混じった巫蠱破解法を記録している。この方法の理論は、巫蠱術が魂を制する術(制魂術)であることに依拠している。
「漢代においては巫蠱のことを桐木人(桐の木の人形)と呼んだ。桐木を人のように彫ったものである。薬で、あるいは血の呪詛によって魘(えん)術をかける、つまりかけられた人はうなされる。呪詛は夜間におこなわれる。人に憑いて家の中をうろつく。またたく間に乗っ取る。こうして人の魂を制御する」
巫蠱を破解するとは、根本的に、いかに自分の霊魂を把握するかということである。具体的には以下の方法がある。
(a)朝夕背筋を伸ばして座し、唵嚂金剛呪を八十一遍唱え、剣訣(剣指、すなわち中指薬指を曲げ、親指をつけ、人差し指と中指を伸ばした手の形。ムドラー)を作れば、出門入戸(門から出て家に入る)のようなもの、すなわち魂が吸い取られることはない。
(b)普通の床の余白に八卦を描き、「悉怛多般怛哆(しつたつたはんたつし)」と書き、軒轅鏡(けんえんきょう)を掛ける。すると呪術の力は弱まる。
方以智はまた指摘している。魂魄を安定させるにおいて、方術は「誠正」の二字にかなわない。それは簡易にして有効である。これらにおいては巫蠱も破解巫蠱の法術も価値がなくなると。巫術が霊験あらたかであるためには、自身が意気消沈すること、恥ずかしくて気がとがめること、恐れおののくことがかならず仲立ちにならなければならない。誠・正は呪詛が入る隙を与えない。防御と破解が巫蠱に対してもっとも有効な方法であるのはまちがいない。