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 工匠魘魅術がもっとも勢いがあったのは明清代だった。当時の人は「梓人(大工)が家を建てるとき、かならず魘鎮をなす」「凡そ梓人が家を建てるとき、瓦職人が覆う瓦も、石工が積むレンガも、飾る五墨絵(水墨画)も、みな魘鎮、呪詛がなされている」。この「凡そ」という文字からも、すべての工匠が日常的な邪術の徒とみなされていることがわかる。

 明清代に流行した工匠魘魅術は偶人(人形)を放置するのが主である。明代初めの長谷真逸は言う、「愚民が妖巫に惑わされるので、官府はこれを厳禁したが、止めることはできなかった」と。

 山東のあるところにひとりの富豪がいたが、巫覡(ふげき)をまったく信じていなかった。巫師は富豪が家をたてるとき チャンス到来と思い、大工をそそのかし、木人を作らせ、柱や斗栱(ときょう)の中に入れさせた。何年かたって富豪一家は全員が重い病にかかってしまった。巫師が大工に人を害する呪術をかけさせたのだろう。この地区は工匠魘魅術が発達していないようだ。

さらに多くの人は、工匠(職人)の内輪で偶人(人形)を安置し、禍を作り出す方法を代々伝えていると認識している。人によっては極端なことを言う。「凡そ梓人(大工)には代々厭鎮をなさざる者はない。もし人に対して呪術をかけなければ、自ら悪に陥るのは必至で、耐え忍ぶ心を失うことになる」と。

あるところの莫氏一家は夜になると取っ組み合いをしているかのような音を聞いた。家が売り出され、それを買った人は、家が解体されるとき「梁の間に、相撲をとっている、髪が逆立った裸のふたりの木刻(木彫りの人形)」を発見した。

 常熟県のある家族が家屋をあらたに建てたあと、三代にわたって女性はみな放蕩で不貞だった。ある日屋根を葺き直していると、「垂木の間に木人を発見した。それは女で、三、四人の男(木人)を誘惑し猥褻なことをしていた」。木人を持ち去ったところ、家の中の雰囲気がよくなった。「この類のことに関して、言葉では言い表せない」。

 明人の高濂(こうれん)は言う、一部の木工(大工)は成人の像を彫り、上に呪語を書き、屋根の上で釘を打つ。この人像のどこかに釘を打ち付けると、家主の体のその箇所が傷を受ける。「目に釘を打ち付けると目が見えなくなり、耳に打ち付けると聞こえなくなり、口に打ち付けると話せなくなり、心臓に打ち付けると心の病になり、門(顔のこと)に打ち付けると家にいられなくなる」。

 ある泥瓦匠(レンガ職人)は棟瓦の下やかまどを造るとき、土人を置いた。ある石工は(石から)人形を作って石の台座の上に置いた。どれも家の主人に禍をもたらした。高濂に言わせれば、法術と伝統的な巫蠱術は基本的におなじである。元来の工匠魘魅術の技法を直接引き継ぎ、変化していない。