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 紀昀(きいん)はつぎのような例を挙げて説明した。いとこの紀東白の住まいには、毎晩門を叩く恐ろしい音が聞こえた。ある日正門の傍らの塀が突然倒壊した。「そこから木人が一つ出てきた。その姿は手を張って門を叩いているように見えた。その上には護符が貼ってあった」。

紀氏はこのことからつぎのように説明する。「世に蠱毒魘魅の術がある。刑法にも明確に記されている。蠱毒を私は見たことがないが、魘魅は数多く見てきた。術をなすのは瞽(めしい)の巫者と土木の工匠にすぎないが、禍福をもたらし、人を生かすことも死なせることもでき、明確に効果があるのだ。そのなかにかならず理はあるだろうか。ただし人が知ること能わざるが」。

 一部の人は工匠魘魅術を妄信する。彼らは工匠(職人)が隠し持つ木偶によって鬼魅が生まれ活動して、人と格闘すると認識している。またこの木偶と工匠の間にはとくに通じ合うものがあり、木偶を廃棄すると、木偶を作り、放置した工匠もともに死ぬことになる。

袁牧は明経(官吏)高某が木偶を制圧した故事を書いている。高明経は結婚したあと突然倒れ、昏睡状態に陥った。目が覚めたとき、耳元で「ルールー」という音が聞こえた。見ると一尺ばかりのきらきら輝く童子が寝床の前に立っている。高明経は宝剣で童子を刺した。すると家人が銅盤(たらい)の中に木偶(人形)を発見した。赤い衣を着て、首に赤い糸をかけて、両手で引いて絞めつけている。この小さな木偶を焼き払うと、怪しい童子の姿も消えた。のちに聞いた話では、ある職人がその日のうちに死んだという。

明経が婿入りしたとき、妻方の家を修理することになった。職人は要求にこたえることができず、厭魅術をかけた。しかし術が見破られると、職人は即座に死んだ。

 ある文人はこう書いている。余杭(杭州市)の章某が住まいを建てたところ、毎日夜になると官吏が出現し、事件を審理するという怪現象が起こった。これにより章家は絶えず訴訟を起こすようになった。

のちにひとりの袖弩(小型の弩弓)を得意とする親戚が夜、この家に泊まりブタや羊の血を塗った弓を放つと、梁から小官のような鬼が落ちてきた。鬼を起こすと、それは紗帽をかぶった青い袍(伝統的な長い上着)を着た小さな木像だった。このあと章某は家の柱を持ち上げてもらうと、底がくりぬかれていて、そのなかにたくさんの小さな木像が隠されているのを発見した。家を建てた大工を呼んで問い詰めたが、大工は認めようとしなかった。章家が木像をすべて焼却したところ、大工は家に戻ったあと心臓の痛みに襲われ、数日後に死亡した。

 職人が雇い主に反抗し、恨みを晴らすとき、木人を置いて呪詛をおこなうのは、比較的平穏で安全な方法だった。雇い主が病気になり、家の中に怪異現象が現れるようになった。そこで木人を燃やすと職人が死んだ。これは魘魅術(悪夢の魔術)がかけられていることを示している。不可思議な意識からおこなった強い感情的な推論である。

工匠の死の例を挙げるなら、厭鎮行為がいったん露見したなら、工匠は厳しく追及され、譴責を受けることになる。罪を犯したことを認めれば、官府に送られ、巫蠱の罪で懲罰を受けることになると連想できる。木人が焼かれるということは、自分の生命が重大な危機に直面しているということである。それにいろいろな要素が加わり、「術破」されるにいたったのである。こうして工匠(職人)は即座に死ぬことになった。レヴィ=ストロースの魘魅の理に対する巫術作用理論を上述のように分析すると、紀昀の言うように、魘魅活動には「かならず道理というものはある」という話には意義があるのだ。

 偶人を置く法術が実際に効果あるかどうかはなかなかわからない。それゆえ人によっては木工(大工)が木偶を置いたときの最初の言葉がこれの性質と作用を決定するとみなす。最初の言葉は災禍を作ることが可能な呪語である。第一句は「吉祥語」であり、福をもたらす。「木工厭勝術は、最初の一言をもって基準とする。これによって禍福が決まる」と言うことである。

 つぎのような例が挙げられている。婁門(ろうもん 蘇州の城門)の人李鵬が高い建築物を建てたときのこと。木工が悪念を起こし、刑具を付けた木人を敷居の下に埋めていたところ、李鵬に見つかってしまった。李は彼をしかりつけ、問いただした。木工はおそるおそるなんとか取り繕う。「旦那さま、おわかりにならないでしょうか。婁門一の家になるため(木人を置いた)なのです」。李はこの言葉を聞いて、もう邪魔はしなかった。こののち李家は突然富裕になり、町で一番の金持ちになった。木偶を置くのが吉と出るか凶と出るかはわからないが、偶人は禍をもたらす凶神となることもあれば、富をもたらす霊物となることもあるということ。魘魅術の効果がどちらに出るかは、人の心によるのである。