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 工匠魘鎮術の二番目の形式は、古い鎮宅術から派生したものだった。漢代には家屋のまわりに青石や桃木を埋める類の鎮宅術があった。それは鬼魅や邪気が侵入してくるのを防ぐのが目的だった。のちに工匠は建物や器物に偶像だけでなく、ほかの厭鎮物を入れるようになった。すなわち邪祟や災禍を作るようになったのである。狙いはおなじでなかったが、手法は基本的に一致していた。

 曹魏の時代、預言家管輅(かんろ)は鹿を盗もうとする男を垂木の下に瓦といっしょに閉じ込めた。すると鹿泥棒の父親が頭痛発熱に苦しんだ。

 明清時代に流行した第二種工匠魘魅術とはすなわちそのはじまりだった。管輅の法術には専門の巫師がおらず、工匠が広く使われてきた。塀に上がり、屋根に登るには便利だったのである。