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 古代に流行した巫術的な治蠱法には、霊物や呪語が主に用いられた。ほかにも埋蠱などの予防諸法には巫術的性質があった。一般的な治蠱霊物や治蠱法にはつぎのようなものがある。


<ミョウガ(蘘荷)> 

 『周礼』中に庶氏は「毒蠱を駆除するために、攻祭と説祭によって、また嘉草を用いて(駆除)する」とある。この嘉草とはミョウガ(蘘荷)のことである。干宝は言う、「今の世において蠱を攻めるのに、多くはミョウガの根を用いる。たいてい効き目がある。ミョウガ(蘘荷)は嘉草ともいう。ミョウガはふつうの薬物と違い、蠱毒の患者に蠱主の名を叫ばせることができた。

干宝はまたいう。蔣士なる人物の使用人が「得疾下血」(病を得て下血)し、医者は中蠱(蠱病)と診断した。「ひそかにミョウガの根を寝床の敷物の下に置く」と、しばらくして患者はわめきだした。「われに蠱を食べさせた者、それは張小小であるぞ」。蔣士は尋問するために張小小を捜させたが、張はすでに恐れて逃走していた。

葛洪『肘後方』は結論を述べる。「中蠱者はミョウガの液を服用するか、その葉の上に寝れば、蠱主の姓名を呼ぶ」。ミョウガで蠱毒を治療する方法は、歴代の医術家も認めていた。


<敗鼓の皮> 

 医術家によると、破鼓皮(破れた太鼓の皮)はミョウガといっしょで、中蠱者(蠱の患者)に蠱主の名を呼ばせるという。葛洪の治療法にも「蠱主の姓名を知る治療法」というのがある。「鼓皮を取り、少し焼いてその灰を粉末にし、病人に飲ませる。病人はすぐに蠱主の姓名を呼び、病は癒える」。孫思(そんしびょう)はさらに詳しく述べている。孫氏が言うには、一部の中蠱者の病気の原因は自ら生まれた蠱によるものでなく、人によって飼われていた毒蠱によるものである。この種の蠱疾を治療するには、服薬と同時に蠱主の姓名を知る必要がある。そして蠱主には毒蠱を召喚させねばならない。「蠱主の姓名を知りたければ、敗鼓(ぼろぼろになった太鼓)の皮を焼いて灰を作り、その粉末を小さじ一杯飲ませると、蠱主の姓名を呼ぶ。そして(蠱主に)去るよう命じ、病は癒える」。


<鶏> 

 鶏の一般的な意味は辟邪霊物であり、同時に厭勝蠱疾の専用霊物である。鶏はよく虫を食うので、鶏の治蠱法は当時導き出すのはむつかしくなかった。孫思の記録によると、「禁蠱毒法」とは、赤い雄鶏を一羽用意し、巫師は左手に鶏を持ち、右手に刀を持ち、患者の家の門の前まで歩くと、軒下から三歩離れたところで「門尉! 戸丞!」(門丞、戸尉が一般的)と三度叫ぶ。そのあと鶏の頭を伸ばして病人の口の中に入れる。同時に念じる。「某甲(病人の名)病蠱、当令速出、急急如律令!」[急急如律令は法律のごとくすみやかに執行することを命じるという意味だが、やや曖昧]呪語を三度唱えると、刀で鶏冠(とさか)を裂き、鶏血を苦酒にそそぐ。病人がこの鶏血酒を飲めば、蠱疾は治癒する。

 もうひとつの治療法はつぎのとおり。(カシワ)の背陽皮(陽が当たる側の樹皮)と桃木の根の皮をよく煮て濃い汁を作る。それにハリネズミの皮の(焼いて作った)灰、乱髪草(草)の灰、生麻子(熟していない麻の種)の汁を入れてよくかきまぜる。早朝、中蠱者(蠱の病人)は空腹の状態でそれを服用する。しばらくすると患者は嘔吐する。嘔吐物が入ったお盆に向かってニワトリの翎(はね)を投じると、さまざまな形をした蠱虫が湧き出てくる。

 この治療法は鶏の翎(はね)を用いたものというより、鶏が蠱を制するという観念を反映したものである。古代の医術家は発熱した白鶏の血が百蠱の毒を解除できると信じていた。

 またある人によると、ひとりの異人(親戚でない他人)がつぎのような治蠱法を伝授したという。「蠱者の家に行くとき、鶏を持って門に入ります」。蠱主は訪ねてきた者が鶏を持っていることを確認すると解薬を手渡した。説明する必要はなく、多言は要しなかった。訪れた者はご飯を食べたあとこの薬を服用した。こうして蠱の病にかかる心配はなくなった。