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<その他> 

 清人が著した『駆蠱録』が引用する「易簡方」に言う、蠱術流行地区でご飯を食べるとき、まず箸を持ってひそかに食べ物の一片を隠し持つといい。食べつくすのを妨げることはない。食後に隠した食べ物は大通りの十字路口の下に埋める。蠱は蠱主の家に戻って怪をなす。飯を食べるときまず主人に先に箸を持つよう(先に食べるよう)勧める。あるいは食べ始める前にテーブルをコツコツと叩く。すると蠱毒の難を逃れることができる。

 『駆蠱録』が引用する「峒渓繊志」に言う「蠱の禍には神助がある。夜出て死者の魂を吸い取る。彗星のごとく光り、人家に流入する。まさにそのとき防御があることを知る。蠱を飼う家はその居を清潔にしているもの。このことを理解し、(不浄にするため)女子を座らせる。そうすれば蠱の霊力がなくなる」。これはつまり、毒蠱が飛来するとわかれば、女子が座る姿を見せるとよい、それによって飛んでくる蠱の霊験が消え失せてしまうということだ。

 古代の医書には蠱薬の処方が記されている。実際それらの一部は普通の殺虫解毒法であり、巫術的な性質はない。洪邁『夷堅志』巻二十三に載っている巴豆、白ミョウバンを用いた蠱の治療法は、虫を駆除し、解毒するには十分な効力を発揮する。しかしこの推論をもとにすべての蠱薬は巫術ではないと結論づけてしまうと、あきらかに間違っている。古代人は蠱を病理的なものと理解するとともに、巫術的な現象でもあると認識していた。古代の蠱の治療はつねに二重の性質を持っていた。

 最後に強調しておきたいのは、蠱に関して論じ方が変わってきたことである。独特な異なる意見を持つ人が現れ、蠱の神秘的な威力を信じなくなった。

『夷堅三志』「壬集」巻四「漳士蠱を食す」の節には、「漳州の某士人は、衆人の前で、ひとりの蠱主が送り出した蠱の入った包みを家に持ち帰った。夜、二匹の蛤蟆(カエル)が寝床の上に座っていた。「士は酒のさかながないなあと考えた」。そこでついに「喜んでこれらを殺して煮て食べた」。「明晩、十数匹のカエルが現れたので、少しばかり取ってまたも煮込んだ。また明晩、三十匹ほど出現し、増えるばかりでありがたみがなくなった。ついには家の中がカエルでいっぱいになり、食べるどころではなくなった」。士人は胆力があふれんばかりで、人を雇ってカエルを野外に埋めると、妖異なできごとは終わった。

「士は笑いながら言った。蠱毒の霊よ、ここに終止符を打ったぞ、と。妻はカエルを防ぐためにハリネズミを買うよう求めた。士は言った。われこそハリネズミであるぞ、これ以上何を求めるのか、と。

この夫婦の考え方はまさに理にかなっていて、うるわしいと識者は考える」。いわゆる「蠱は飛行して財を移すことができる」とか「鬼魂を役使する」といった説は、このカエル[の蠱]を食べる故事の前では色褪せてしまう。