第4章 09 敵を防ぎ、兵を退ける呪術
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原始社会の末期、単純な氏族間の闘争は発展し、部落連盟間の大規模な戦争に発展した。戦争の勝敗を決定づける要素は次第に多くなり、結果を予測するのはいっそう難しくなった。こういうときに人は巫師に助力を乞うのである。伝説によれば黄帝は蚩尤(しゆう)との大戦の際に、銅頭鉄額の蚩尤族人にまったくかなわず、最後は「天が派遣した玄女から黄帝に授けられた兵信神符」によって蚩尤を制圧することができた。
別の神話によれば、大戦の間、「蚩尤は風伯雨師に要請し、たいへんな暴風雨をもたらした。それに対し、黄帝は天女を呼び、魃(ばつ)に命じて雨を止めさせ、ついに蚩尤を殺した」。
もしこれらの神話にある程度の歴史的背景があるとするなら、当時の戦争では双方とも巫術(呪術)を使用したはずである。蚩尤は風伯雨師に要請して風を興し、雨を作ったはずである。その実態は、自分たちの巫師を招き、風神、雨神に戦いの幇助を依頼したはずだ。一方の対立する黄帝は女巫に玄女を招かせ、女魃に蚩尤を攻撃させたはずである。
春秋時代、晋国軍隊は戦いの前に戦いの祈祷儀式をおこなった。参戦者が宣誓したあと、戦車から跳び下り、祖先あるいは社神牌の前で「無絶筋、無折骨、無面傷、もって大事に集う」といった類の祷詞を念じ、神霊の保護と自身の安全および自軍の勝利を願っただろう。当時の礼制から考えるに、国君は軍を率いて出征するとき、最高祝官は軍の行動に従い、社主を奉持する必要があった。戦闘中も祝官の責任は大きく、こうした戦いの祈祷活動を組織しなければならなかった。