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 系統的で巫術性のある御敵(敵を防ぐ)儀式は、戦国時代にさかのぼり、鬼神を信じ、城を守るのが得意な墨家学派が創設したものである。『墨子』「迎敵祠」に言う、敵を迎撃し、前に進むためには以下の活動が必要とされる。

 第一、五行の理論を考え、方神を祭祀する。

敵が東方から来れば、東壇で神を祭る。選ばれた八名の八十歳の老人が主祭し、鶏を犠牲として祭る。壇の高さは八尺、堂の奥行は八尺、壇上には長さ八尺の高さの青旗青神が八方に立つ。八つの弩(いしゆみ)を設置し、八連射する。将校は青の軍服を着なければならない。

敵が西方から来れば、西壇で神を祭る。選ばれた九名の九十歳の老人が主祭し、羊を犠牲として祭る。壇の高さは九尺、堂の奥行は九尺、壇上には九方に高さ九尺の白旗素神が立てられる。九つの弩級を設置し、九連射する。将校は白の軍服を着なければならない。

敵軍が南方から、あるいは北方から来れば、五行の定式によって相応の技法を採用することになる。

 第二に、巫師の祈祷と卜者の占い。望気者は雲気[体内の濊濁の気]を観測する。「これを心得た者は、成功と失敗、吉と凶を知ることができる」。予測結果は、守城の主ひとりが知る。城内の巫師と望気者は分かれて集中して居住させ、監視およびコントロールがしやすいようにする。

 第三に、各種勝敵儀式の実施。君主は大衆を率いて宣誓を終えると、射手は敵軍を象徴する目標に向かって三度矢を放つ。そのあと祖先に敵と戦って勝利を収めたと報告する。いわゆる「告勝」(勝利報告)である。太鼓の音がとどろくなか、役夫徴発を担当する役司馬が正門の右側に蓬矢を放つ。矛を持つ士(大夫と庶民の間の階層)が刺殺する動作を三度見せる。また弩(いしゆみ)で敵軍に矢をうちこむ。軍の佐官は正門左側で兵器をふるう。つづいて象徴的に木石を発射する。最後に祝史(祝官)、宗人(古代官名)によって、蒸籠(せいろう)で社主(社稷の神)を覆い、社神に告勝(勝利を告げる)する。

 以上の三つはどれも巫術行為である。蔡神儀式と現実に直接関連した儀式のなかでも「齢九十の九人の主祭」の類の神秘的儀式をおこなうとき、すでにそれは事実上の巫術行為である。占いや望気術[雲気を観察して吉凶を予測する方術]は予測巫術に属し、古代の軍事専門家への影響はきわめて大きかった。

 第三の勝敵儀式は模倣巫術に属する。戦いの前に敵に戦勝する場面を予測して演じる。あるいは神霊に向かって勝利を得たと宣言する。これによって戦争中に(予測と)同様の結果をもたらす。

 『尚書』「牧誓」の「そろって四伐、五伐、六伐、七伐、いっせいに止まって」は、研究者によれば戦闘の前の舞踏だという[伐とは、刺し殺す動作]。『迎敵祠』と比較分析すると、この種の戦闘前舞踏は模倣巫術的性質を持っていると言えるだろう。「射三発」「矛三発」などは戦闘準備ではなく「告勝」であり、一般的な軍事演習とそれほど変わらない。「蒸籠(せいろ)で蓋をする」の意味は不明だが、一種の厭勝の術であることはまちがいない。