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 漢代に流行した五彩帛(絹織物)や五彩糸は多大な影響を及ぼし、そこから辟兵術[兵器による傷害を避ける法術]が生まれることになった。(詳しくは第2章10節を参照)

 晋代に至って葛洪は伝統的な辟兵法術を系統的にまとめた。『抱朴子』「雑応」には十数種の辟兵法を紹介していて、上述のヒキガエル辟兵法以外に5種類の方法を挙げている。

A)臨戦のとき北斗神、日月神の名を書写する、あるいは黙誦する。「ただ北斗の字および日月の字の書を知るだけで、白刃を畏れなくなる」。『太平御覧』巻三三九に引用する「ただ北斗の姓字および日月名字、白刃を畏れないことを知る」の意味がさらに鮮明になる。道士介象が呉王孫権にこの法術を伝授したとのことである。孫権は側近数十人にこれを試させて、つねに彼らが敵陣に突撃しても、「みなケガひとつしなかった」。

B)兵器の神の名を唱える。この系統は葛洪の師鄭隠が伝えたものである。弓矢、剣、戟(げき)、それぞれに名称があり、臨戦時にはそれを小声で唱える。これは辟兵の効果が見込まれる。(詳しくは第2章14節参照) 

C)神符を身に着ける。「五月五日に赤霊符を作り、心臓の前に着ける。あるいは丙午の日の日中、燕君、竜、虎の三嚢符を作った」。ほかにも辟兵霊符はたくさんあり、そのなかでも牡荊を取って六陰神符を作り、符は敵人を指した。漢代から伝えられてきた。

D)神薬を使用する。「傅玉札散、浴禁葱湯」「帯武威符、蛍火丸」。蛍火丸はよく知られている。「雄黄、雌黄各二両、蛍火、鬼箭、蒺藜(しつれい)各一両、鉄槌の柄の黒焦げ、鍛炉中の灰、羖羊(こよう)の角一分、小麦粉のように粉末にした九物を鶏卵の卵黄と雄鶏の鶏冠の血と混ぜ、丸めて杏仁(アンズの種)ほどの丸薬にする。五つの丸薬を作り、深紅の三角袋に入れる。この袋を左腕に貼る。従軍するときは腰に下げ、家にいるときは屋内に掛ける」。この丸薬によって、五兵白刃[五兵とは刀、槍、剣、戟、斧]、盗賊凶殺(盗賊や殺害)を避けることができる。また百鬼、虎狼、蚖蛇(がんじゃ)、(ほうたい)などの悪獣毒虫を取り除いた。伝え聞くところによれば、この処方は伝説的神仙務成子が作ったもので、のちに道士尸公[尹公]から漢冠軍将軍であり武威太守の劉子南に伝えられた。劉子南は「神効」を試してみた。漢末の青牛道士封君はこの処方を皇甫隆に伝え、皇甫隆は魏武帝曹操に伝えた。これにより人の間の隅々まで伝わった。劉子南に関係しているからか、道士はこの丸薬を「冠軍丸」「武威丸」と呼んだ。

E)禹歩で神を呼ぶ。「刀剣が交わされるとき、魁星に乗じ、罡気(こうき)に履し、四方の神明の長を呼べば、霊験あらたかである」。