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<毛髪、爪> 

 致愛術(愛のまじない)による髪や爪の処理の仕方には、埋蔵、安置、佩用(身に帯びる)、内服などがある。漢代の術士は言う。「かまどの前に髪を埋めれば、女性は夫の家で安んじる」と。後世の術士はここから多くの関連した法術を生み出した。たとえば「夫婦が憎みあったとき、頭髪をかまどの前に埋めると、鴛鴦(おしどり)のように愛し合うようになる」「婦人の髪を二十本ほど取って焼き、寝床の椅子の下に置く。すると夫婦は仲睦まじくなる」「女性に愛してほしいと願うとき、その女性の髪を二十本ほど取って焼いて灰にし、酒に入れて飲ますと、女性はその人を激しく愛するようになる」「嫁入り前の女性の髪を十四枚取って、撚ってひもにし、これを身に着けると、見る人は悲痛の思いになる」など(『医心方』巻二十六)。

 馬王堆漢墓出土『雑禁方』が言及する。「左麋(眉)を取って酒中に直(置)き、これを飲み、必ずこれを得る」。この意味は、相手の左目の上の眉毛を酒に入れて飲めば、相手の愛を得られるというもの。

 唐代の敦煌の人が書いた文に『攘女子婚人述秘法』(神に祈って女性と結婚した人が述べる秘法)はもっぱら致愛巫術(愛のまじない)について述べている。題の「攘」の字は学者によれば「禳」である。『秘法』に言う、「夫に愛してほしくて夫の親指の爪を焼いて灰にし、それを酒に混ぜて飲んだところ、霊験があった」。また言う、「男は妻に愛してほしいと願い、女の髪二十本ほどを取り、焼いて灰を作り、酒とともにこれを服すると、霊験があった」と。この種の方法と先に列挙した「女性に愛させる方法」とは、内容が完全に一致する。長い間この法術が民間に流布していたことがわかる。

 毛髪と爪を用いて相手の感情をコントロールするのは、つぎのような観念に基づいている。これらのものと、その持ち主の身体および魂とは、いわば反響しあう関係にあると認識されている。たとえば「かまどの前に髪を埋める」のは、婦女の毛髪を埋蔵することによって彼女の魂を取りまとめ、固定するのである。この種の法術をおこなうさいに基本的に要求されるのは、相手の毛髪や爪を用いること、あるいは相手に施術者の毛髪や爪を服用させることである。

 『延齢方』に言う、「おのれの爪、髪を取り焼いて灰にする。相手の人の飲食にこれを入れる。一日見ないだけで三か月も見ていないかのようになる」。これはつまり自分の髪や爪を焼いて灰を作り、ごはんやおかずに混ぜて食べさせると、施術者に対する感情が生まれ、「一日見ないだけで三か月も見ていないかのように」思わせるのである。相手の髪や爪を用いる場合、それは相手をコントロールするという意味である。そして相手方にこちらの髪や爪を用いさせるのは、自分が相手にコントロールさせることを意味する。この二つの行為はおなじ巫術の原理がもとになっている。

 ただしのちに一部の人は理解できず、あるいはこの原理に注意を払わず、伝統的な致愛法(愛のまじない)を曖昧模糊な、いくつもの解釈可能なものを作り上げた。たとえば敦煌『秘法』に言う。

「およそ男子は婦人と私通したいと欲し、庚子の日に自らの右わきの毛を取り、爪と混ぜ、焼いて灰を作る。自ら□に泥とともに塗る」

「およそ婦人に愛するよう欲するなら、苦楊(?)と目の中の毛(?)を取り、焼いて灰を作る。姻(菌)と混ぜて自ら服せば(?)霊験あり」。

 この二圧の文章は鍵になる部分の説明が欠けている。最初の文の「爪と混ぜ」の爪が婦人のものとは言っていない。二番目の文の「目の中の毛」もそれが婦人のものとはかぎらない。たやすく人は誤解して求愛する者が自分の毛や爪を焼いて自分のために灰を作る。交感巫術の観点から見ると、自身のものを焼いて食べるのは、自身に求愛するのと変わらない。相手方とは何の関係もないからだ。これはあまりにそそっかしすぎるものであり、誤読から生まれた重大な言い間違いである。