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<血で汚れたもの>
『淮南万華術』に言う、「門の上の赤布、婦人は去りがたし。婦人の月事[月経]の布を取って、七月七日に焼いて灰を作り、門の横木の上に置く。すなわち去ることができない。このことを婦人に知らしめるなかれ」。月事布は婦女の血で汚れている。血の汚れは魂と関連していると考えられる。血で汚れたものを焼く、また灰となったものを門の横木の上に置く。それと「婦人の髪二十本を取り、焼いて、寝所の席の下に置く」のとは通じるものがある。
張華『博物誌』は別の方法を引用する。「月布を戸口の敷居の下に埋める。婦人が戸から入ると去りがたい気持ちにさせる」。この原理と「髪をかまどの前に埋める」のは近いと言えるだろう。
明代の某娼家によれば、彼らはこの種の汚物致愛術をおこなっていた。『堅瓢広集』巻一「娼家魘術」が引用する祝枝山「志怪録」は言う。「ある少年が年若く、美しい、お金を持ったある遊女につきまとった。身も心も彼女にささげた。心を惑わされた少年は娼家に何年もとどまっていた。ある日たまたま楼窓(まど)にもたれかかってぼんやり眺めていると、遊女が魚を持って中に入ろうとしているのが見えた。なぜ侍女に持たせないで自分で持っているのだろうかと訝しく思った。少年はひそかに観察した。遊女は魚を持ったまま厠(かわや)に入ったので、ますますあやしいと思った。覗き見ると、遊女は魚を空の尿器に入れ、これを傾けると、器から何かを尿器に注いでいる。その水は赤かった。目を凝らして見ると、それは月経のようだった。おぞましいかといえば、そうではなかった」。
これはつまり遊女の慣例で、月水をそそいだ魚で作った料理を意中の人に食べさせようとしているのだ。これを食べれば去りがたくなる。血の汚れものと髪や爪はおなじようなもので、交互に使用することも可能だ。祝枝山はつぎのように語る。「女はこれによって男を留めることができる。男もまた女を留めることができる」。