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<カササギ> 

 漢代の術士はカササギの脳を愛の気持ちを起こさせるもの(致愛霊物)とみなしていた。『淮南万畢術』は言う、「鵲脳(カササギの脳)は相思相愛にさせる。雌雄のカササギを一羽ずつ捕え、四つの方法で炙り、丙寅の日に人とともに酒を飲む。酒の中にカササギの脳を入れれば、互いに相手を思うようになる」。

 『太平御覧』巻九十二に引用する「鵲脳、人に相思わせる」に注がある。「カササギの雌雄一羽ずつの脳を取り、これを焼いて、酒の中に入れ、飲ませればすなわち互いに思わせるようになる」。鵲脳の用い方というのは、これを焼き、その灰を酒に入れて飲ませるということである。つまり直接用いるというわけではない。

 南朝道士陶弘景もまた言う、「五月五日、鵲脳を取り、(酒などに)入れ、術家がこれを用いる」。術家が鵲脳を使うといっても、結局愛の気持ちを起こさせる活動を行なったにすぎない。のちに一部の人はカササギの愛の能力を応用し、鵲巣(カササギの巣)や巣の中の石を用いた。

 『如意方』に言う、「戊子の日、鵲巣を取り、この家の下の土を焼いて燃え屑を作る。それを酒とともに服用すれば、夫婦は互いに愛するようになる」。『投荒録』に言う、鵲巣に二つの小石があり、「鵲枕」と称すと。五月五日に探し当てた鵲枕はもっとも類まれな媚男薬とされた。ご婦人方はたまたまこれを(市場で)見かけると、「耳飾りから金のかんざしを抜いて」惜しげもなく、すぐに手に入れた。

 鵲脳、鵲巣、鵲枕は、多くの種類の観念によって作られた媚薬とみなされる。古代民間では、カササギは「鳴きながら上下に飛び、音を感じて孕み、見るだけで抱き合う」と認識された。すなわちカササギの身ごもりと孵卵は、鳴き声を出し、見ることによって引き起こされるのである。なぜ鵲脳を使用するかといえば、相手の気持ちをひそかに引き寄せる効果が見込めるからである。カササギの巣はつねにカッコウや九官鳥などの鳥に占拠される。『詩経』に「巣のあるカササギを守るのは、ここにいる鳩を守るということ」と詠じられるのはこのことである。

致愛術(愛のまじない)中の鵲巣の灰(鵲巣を燃やして作った灰)というのは、その代用品である可能性もあるが、鵲巣を占拠する鳩を徹底的に消滅させるという意味もある。一般的な媚薬と違って、鵲巣にはほかに巫術にも使われる。たとえば医家はそれが「精神錯乱や狐憑き、蠱毒」の治療に使われると認識する。春節には鵲巣灰を門の内側に撒き、泥棒の侵入を防ぐ。


カッコウ> 

 カッコウの異名は非常に多い。秦代以前の文献では一般的に「鳲鳩(しきゅう)」と呼ばれている。『本草拾遺』に言う、「布谷(カッコウ)は鷂(ハイタカ)に似て尾が長く、雌牡飛んで鳴き、翼で相払い打つ」と。雌雄のカッコウの脛の骨を水中に入れると、それらは自ら互いに近づく。この特徴は疑う余地なく愛を欲する者たちのことを連想させるだろう。陳蔵器、段公路ら以下のような致愛(愛情を起こさせる)方法を紹介する。

 五月五日、雌雄のカッコウの脛の骨を取り、男はそれを身体の左側に着け、女は右側に着ける。すると夫婦は愛しあうようになる。

 術士によってはカッコウの脳とその他の霊物を配合して媚薬を作る。『物理小識』が引用する明代に流布した『秘抄』という書に述べられている。紫という名の野狐がいて、毎晩ドクロを頭に戴いて、北斗に向かって礼拝した。野狐の心臓、カッコウの脳、犬の口の中に生じる媚肉を用い、それに麝香を加え、その香りをかがせれば、昔の恋人のことを思い起こさずにはいられない。この法術を解くには、冷水を思い浮かべるだけでよい。


<オシドリ> 

 鴛鴦(オシドリ)を愛情の象徴とするのは中国人の伝統だ。オシドリの心臓と尾が致愛霊物とみなされるのは当然のことだった。『竜樹方』に記される。「オシドリの心臓を取り、陰に干すこと百日、腕に吊るす。人に知られてはいけない」、するとたちまち愛を呼び起こすだろう。『千手観音治病合薬経』に記される方法はつぎのようなものだ。「オシドリの尾を取り、大悲像の前で一千八十遍呪を唱え、身にそれを帯びる」。この方法を考えた人はオシドリの尾にさほど効果がないことを知っていたのだろう。それゆえこの術をおこなう者はオシドリの尾を手にもつだけではだめで、観音の前で一千遍以上呪を唱えるべしなどと言うのだろう。


<細鳥> 

 細鳥は神話の中の鳥である。漢魏時代の小説『洞冥記』に記す、漢武帝の元封五年、勒畢国の使者が細鳥を貢物としてささげた。一尺平方の玉籠に数百羽の鳥が入れられていた。細鳥の大きさは大縄ほどで、形はオウムに似て、鳴き声は黄鵠(黄色いクグイ。死者を蘇らせる大鳥)に似て、数里も轟く。意外にも、十日以内にこれらの鳥はすべて飛び去ってしまった。あちこちで探し回ったが、連れ戻すことはできなかった。

 つぎの年も細鳥はすぐに宮廷内を飛び回るか、垂れ幕に集まるか、宮廷人の袖の上にとまった。宮廷内の妃や妾はみな喜び、それを「蝉(せみ)」と呼んだ。衣服の上に細鳥がとまった宮廷女はすべて武帝の寵愛を受けた。

武帝の晩年、細鳥がつぎつぎと死んだが、それでも死んだ細鳥の皮は珍品とみなされた。「その皮を服用すると、丈夫(愛人)から愛情がそそがれた」。細鳥伝説は神話に属するとはいえ、影響は相当大きかった。段公路や李時珍はこの伝説を記録したが、世界にはこの類の霊物があることを確信していた。