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<媚蝶> 

 稽含『南方草木状』によれば、媚蝶、すなわち鶴草上の虫が変じて飛蝶となるという。段公路『北戸録』は媚蝶に関してさらに詳しく描写する。毎年春になると、鶴子草がはびこり、その草の上に一対の虫が生まれ、草の葉を食いちぎっていく。南方の現地住民はこの虫を捕え、女性の化粧箱の中に入れる。すると蚕が鶴子草を食んでいるように見える。虫は老いて衰えて赤黄色の飛蝶に変じる。女性は飛蝶を捕え、身につけ、細鳥の皮をつけるのと同じ効果が得られる。ゆえにこの蝶は「媚蝶」あるいは「細蝶」と呼ばれる。


<紅飛鼠(赤いムササビ)> 

 唐代の劉恂『嶺表録異』に言う、「紅飛鼠、交趾(ベトナム北部)や広州(揚州南部)、管州(鄭州)、瀧州(現・広東羅定県)にいる。背と腹には深くて柔らかい毛が生え、肉と翼は浅黒く、赤い芭蕉の花の中に隠れている。一羽を捕まえれば、もう一羽は逃げない。南中の婦人はこれを買い、身につける。それで媚薬となす」。一羽を捕まえればもう一羽は逃げないとは、一羽捕まえれば、もう一羽は自ら網に身を投じ、捕えられるという意味である。紅飛鼠(赤いムササビ)は雌雄がつがいとなり、離れようとしない。紅飛鼠はまたの名を「紅蝙蝠」という。段公路『北戸録』には紅飛鼠の条があり、劉恂が述べるものとまったくおなじである。名前が違うだけで、同一のものなのである。


<龐蜂> 

 『嶺表録異』はこうも言う、「龐蜂は山野に生まれる。多くは橄欖樹の上にあって、形はセミのようで、腹は青く薄く、その名を自ら呼ぶ。ただしその声を聞けばすぐに捕えることができる。人はよい値段でそれを買い求め、媚薬とする」。李時珍は龐峰を青蚨(せいふ)の一種とみなす。ゆえに『本草綱目』巻四の「青蚨」の条に収録されている。李は「龐蜂」を「龐降」と書いているが、これは伝承の誤りだろう。


蛗螽(ふしゅう)> 

 蛗螽、またの名を負蠜(ふはん)、蚱蜢(さくもう バッタ)。よく飛び跳ねるイナゴの類の害虫。『詩経』「草虫」の冒頭の章で「草虫は喓喓(ようよう)と鳴き、蛗螽(ふしゅう)は趯々趯(やくやく)と飛ぶも、いまだ君子は現れずに、心々(ちゅうちゅう)と憂える。また人と会う気にならず、会わなくなり、わが心は落ち込むばかり」と詠まれている。詩のすべてが女性のことを思う気持ちをうたったもの。また会ったあと憂いが喜びにかわるさまを詠んでいる。詩のなかで蛗螽(ふしゅう)、すなわちイナゴが飛び跳ねはじめている。詩人は蛗螽に特別な意味を持たせているのである。

 『本草拾遺』の中に奇妙なことが書かれている。イナゴ(蛗螽)とミミズは異類だが、同じ穴にいると、(ミミズの)雌雄が交わるという。これはイナゴ(蛗螽)に「人を互いに愛させる」効能があることを示している。具体的には五月五日、イナゴ(蛗螽)を捕えてミミズと交配させると、「夫婦がこれを身につければ互いに強く惹かれる」という。

 宋代陸佃『埤雅』巻十「螽」の条に、『詩経』を根拠にさらに詳しく言う、「草虫は上風の中で鳴き、負蠜(ふはん)は下風の中で鳴く。すなわち風によって変化する」。イナゴ(蛗螽)と草虫が互いに愛慕しあうかのような言い方だが、これはさすがに牽強付会といえるだろう。


<吉丁虫> 

 『本草拾遺』に言う、「吉丁虫は甲虫である。背は緑色、甲の下には羽根がある。嶺南の賓州、澄州などに産する。人これを捕え、帯びれば、人と愛し合うことができる。すなわち媚薬である」。


<金亀子(コガネムシ)> 

『北戸録』巻一「金亀子」の条に言う、「金亀子は甲虫である。五、六月に草蔓の上に生まれる。楡の実ほど大きく、よく見れば本物の金である。亀子がつがいになれば、虫が死んでも、金色が消えるとともに蛍光が残る。南の人は粉を養い、その粉で互いに親しい関係になるという」。この書では金亀子が媚薬になると断言しているわけではないが、李時珍は「人を好きにさせる」のところを引用している。李時珍は「吉丁の類であり、媚薬である」と断じ、「刀豆のように大きく、頭部は鬼に似て、甲は亀のように黒く硬い。四つ足で角が二本生え、体は泥金によって成っているかのよう。また蛗虫が変化したかのように見える」と詳しく描写する。

 唐宋の頃には少なからぬ人が金亀子に言及している。李時珍が、それが媚薬であると述べるのは根拠があってのことである。


腆顆(てんこ)虫> 

 陳蔵器は言う、この虫は嶺南から出ると。「そのさまは屁盤に似て、褐色で、身は平たい。これを帯びれば人を愛させることができる。かの人たちはこれを重んじる」。


<叩頭虫> 

 晋人傅咸(ふかん)は『叩頭虫賦』を書き、その中で言う、「叩頭虫、とても小さい虫だけれど、教えてやれば叩頭する。叩頭するからといって傷つけると、不吉である。ゆえにこれを害してはいけない」。この虫を媚薬とすることで、相手方に従順で、言いなりになることを伝えることができる。

 南朝の劉敬叔『異苑』巻三に言う、「叩頭虫、形と色は大豆のようで、呪文をかけて叩頭させ、血を吐くよう教えることができる。殺してしまうと不吉である。これを身につければ人にわき目もふらずに愛させることができる」。


<蜘蛛> 

 『延齢方』に言う、「蜘蛛1匹、鼠婦(ワラジムシ)14匹を素焼きの器の中に入れて百日陰干しする。それを女性の衣に塗れば、夜になればかならず女性自らやってくる」。これは蜘蛛の「粘性」から来る方法である。古医書には「七月七日、蜘蛛の巣を取り、着衣の襟の中に入れる。その人に知られてはいけない。それは忘れないで記憶にとどめる」方法である。これと蜘蛛とは「致愛原理」において共通している。蜘蛛の巣の「粘性」が記憶力と共通しているということなのだが。

 鼠婦とは潮虫(ワラジムシ)のことである。陸佃『埤雅』はこの虫について食用にすれば「人を淫らにさせる」と述べている。『延齢方』のやりかたは、蜘蛛とワラジムシの両方のパワーを活用しているということだ。


 媚草と同様、古代民間に伝わる鳥虫類の媚薬は、上述のものだけでなく、相当たくさんある。唐人蔣防が選んだ伝奇『霍小玉伝』に述べられているように、霍小玉の亡魂が薄情な李益に復習をする。そのとき門の外から李益の妻盧氏にお盆が投げ込まれる。お盆の中には「相思子(トウアズキ)2個と叩頭虫1匹、発殺(はつさつし)一つ、驢駒媚少々が入っていた」。[発殺觜が何かはわかっていない。また北宋の釈賛寧『物類相感志』によると、驢駒媚は、子ロバが生まれる前、口の中に含まれている肉のようなもので、媚薬の効能があるという]

 李益は妻の盧氏がひどく殴られる様子を見ていたが、結局夫婦仲が悪化してしまった。まさに周亮工が述べるように、紅豆、叩頭虫、それに発殺觜、驢駒媚は、唐代においては媚薬の代用品であったに違いない。結局それらが何であるかはわからないけれど。

ほかにも、古代には超性愛的な致愛法術(愛のまじない)があった。たとえば『霊奇方』には「豚の皮と尾を一寸三分ほど取り、衣服の袖に入れる。するとすべての人が愛するようになる」はこのことを指す。