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相手の姓名を桃板の上に書いて処理を施す致愛法は、互いに憎みあいをさせる相憎法に転用できる。『霊奇方』に言う、三寸の長さの桃枝にふたりの姓名を書く。その桃枝を十字路の地面に埋める。ふたつの姓名を代表する人たちは互いに憎みあうようになる。この法術は、一方では伝統的な辟邪霊物(魔除け)である桃木の運用であり、もう一方では相手の姓名と霊魂が、十字路の行き来する人々に踏みしだかれるのを想像することになる。
哀しみと憂いを解除する法術は、秦代以前にまでその起源をさかのぼる。春秋時代の人はすでに萱草(かんぞう 忘れ草)には人に憂いを忘れさせる効能があると認識していた。『詩経』の「伯兮(はくけい)」には女性の口調をまねた詩がある。
「焉得諼草、言樹之背、願言思伯、使我心痗」
内容はつぎのとおり。
「どこに行けば諼草(かんぞう 忘れ草)を手に入れることができるでしょうか。わたしはその種を北堂の下に植えたいのです。というのも遠くの人のことを思うと、身も心も憔悴してしまうからです」。
思い煩っているため、諼草(忘れ草)を植える必要がある。というのも「諼草は人の憂いを忘れさせる」と信じられていたからである。諼草は、普通に言う萱草のこと。
李時珍によると、萱草は古代において忘憂、療愁、妓女という名で呼ばれた。
李時珍はまた李九華『延寿書』を引用して言う。萱草(忘れ草)の若苗を用いて食事を作ると、「これを食べると風が動き、人は酔ったかのように頭がくらくらする。ゆえに忘憂と名づける」。もしこの解釈が正しいなら、萱草忘憂法とは一種の麻酔術で、巫術ではないことになる。ただしほとんどの医書は萱草に麻酔作用があるとは言及していない。
李時珍がこの説を記録したとき、詳しく述べると言ったにすぎない。「伯兮(はくけい)」では、萱草の種を北堂に植えれば憂いを忘れると明言しているが、これと合歓(ねむ)の種を植えて怒りを止めるのとは同類の方法と言える。ここにおいて、「萱草は人に憂いを忘れさせる」という伝承が巫術意識と関係があることは認めてもいいだろう。
のちに萱草は男の子が生まれる吉祥物となり、「宜男草」[これを身につけると男の子が生まれるという草]と称せられるようになるが、それは萱草が人に憂いをなくさせるという古い観念から派生したものと言えるだろう。
萱草忘憂術が医薬と巫術の混合物であったとしても、秦簡『日書』「詰篇」の言う忘憂術は典型的な巫術である。この書に言う、ある人がゆえなく憂いを感じるとき、桃梗でその者をよく撫でる。そののち、癸の日の日没時に、桃梗を大路にほうるとともに大声で叫ぶ。
「〇〇はすでに憂鬱から解き放たれている!」。桃梗で体をこすると、心の中の憂愁が桃梗に吸い上げられるように感じる。
桃梗を大路上に放擲するのは、憂愁を送り出すという意味である。この種の免憂法術(憂いを免れる法術)は、感情をコントロールする法術のなかでも典型的なものである。桃梗で憂いが解消できるなら、悲哀や情念、憤怒を免れるために、同じ方法でもいいのではなかろうか。施術者が賢明にもおなじことをおこなうなら、あとは呪文を「〇は悲しみを免れている!」「〇は怒りを免れている!」などと、言葉を少し変えるだけで充分なのだ。