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憂愁と関連した情念や未練といった感情は、術士がコントロールする対象である。『淮南万畢術』は言う、「かまどの前の(一つまみの)土を持っていれば、故郷を思い焦がれることはないだろう」。
具体的には「かまどの前三寸(4cm)のところの半寸四方(2・7cm)の土を取り、これをもって遠出をすれば、人は故郷に思い焦がれることはない(ホームシックにならない)」。つまりかまどから三寸離れたところの土を半寸四方ほど取って懐に入れていれば、故郷を遠く離れた子供は家のことを思い起こすことはない。
竈神の神聖さによって、かまどの前の土は霊性を帯びる。携帯したかまどの土は、かまど神を携帯したのと変わらない。家庭の主神を携帯するのは、家庭そのものを携帯するのに等しい。遠く離れた者は、つねに家庭や家族といっしょにいるような感覚になる。ある一定の感情を持つことになるが、それと収蔵物に郷愁の気持ちを持つのとは区別されるべきだろう。
『淮南万畢術』は、子供の母親への未練を断ち切る法術について述べている。
「塚墓の黍を食えば、母のことを思わない」。具体的には「新しい墓の前に祀ってある黍を食べれば、母のことを思わなくなる」。
子供は新しい墓の前の黍飯を食べれば何が変わるのだろうか。どうも論理的ではない。陳蔵器は、正月一日に古墓に行き、墓のレンガを取り、正門の上に置けば、辟除災病となる。これは一種の「鬼でもって鬼を制す」的な方法である。両者を比較するに、子供に母親のことを思わせない法術は、鬼飯を用いて子供の霊魂を圧することである。
[ここで「母のことを思う」子供は、死産の子や一、二歳で死んだ子供のことである。幽霊となって母親にまとわりつく子供の霊を慰め、冥界に送る必要がある]