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 一部の致愛術(愛の呪術)は、用途が近いということもあって、解怒術(怒りを解く法術)に転用できる。『霊奇方』に言う、「怒りを解くために、かまどの前の土を三尺(1m)ほど掘り、その人の髪を埋めるといい。怒りはおさまるだろう」。

この解怒法のもととなったのは、「髪をかまどの前に埋めれば、婦人は夫の家の和睦を確保することができる」という致愛術から来ている。夫の家の和睦を婦人が確保し、怒りがないことと、怒りを解くことは相通じる。ゆえに『霊奇方』は、伝統的な致愛術を、一切の憤怒を解くことに転用する。


以上の法術以外にも、古代には悲哀を取り除く法術があった。『日書』「詰篇」に言う、「ある人が悲しみを忘れられず、丘の下でエノコログサを取った。その葉二七枚(14枚)を拾い、東北に向かい、これを食べる。そして横になれば、哀しみは止む」。丘の下のエノコログサの葉十四枚を残らず拾い、北東に向かって葉を食べ、このあと横になって休息をとる。久しく思い煩ってきた悲しみが消える。

 この書はまた言う。「ゆえなく悲しい人は、一尺の長さがあるが中間が折れている桂を、望の日の日の出のときに食べる。そのあとこれを申(さる)時も餔(た)べると、やむ」。[餔とは、申時、すなわち午後3―5時に食べること]

 一尺一寸の長さの桂枝一本を半分に折る。十五日の太陽が昇り始めたとき、桂枝を食べて半分に折る。食べ終えるとまた、晩御飯を食べる。止めても、ゆえなくまた悲しみが生まれる。古代医家が言うには、桂には肉桂と牡桂がるという。長く服すると、「神仙不老」「軽身不老」といった効果がある。

 「詰篇」は桂枝を生のまま食べることを要求する。人にむつかしいことを強いてしまったようだ。のちに桂が薬として認定されると、多くの人は桂の粉末を服用するか、桂湯(スープ)を飲用した。