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陰陽学説の解釈から考えるに、夏暦(農暦)正月は陽気が萌え動き出す季節である。正月の雨水、正月十五日の灯盞(とうさん)は、この種の観念と関係のある男の子が生まれる霊物(縁起物)である。[灯盞とは、もともとは覆いのない油灯のこと]
『新録方』に言う、「正月、降雨が始まると、男女それぞれ一杯ずつ飲む。すると身ごもる」。
『本草拾遺』に言う、「正月十五日の灯盞によって人は身ごもる。夫婦、(他人の)灯を盗んで、自分たちの寝床の下に置いた。このことは人に知られてはいけない。この月に妊娠する」。
唐代以来、正月十五日を上元節とする道家の習慣は社会的に認められるようになった。上元の夜、灯を放つ(灯篭を飛ばす)習慣は民俗的な景観となり、灯を盗む法術もまた発展してきた。
『歳時広記』巻十二に引用する『瑣砕録』は言う。亳社(はくしゃ)、すなわち現在の安徽省亳(はく)県の巷に、上元の夜になるとつねに他人の灯盞を盗む小さい人がいた。目的は盗難の被害に遭った者から罵りを受けることだった。そして灯(ひ)を盗んだ者はこの罵りがこれ以上なく縁起がいいことを知っていた。上元の灯盞を盗むのは縁起がよく、男の子が生まれることも同様だった。縁起がよければ男の子が生まれ、男の子が生まれることは縁起のいいことのひとつだった。
仏教伝来後、民間には仏教信仰活動と結合した生子法術が少なからずあった。
『耆婆方』に言う、「つねに四月八日、二月八日、仏にお香と花を奉じれば、子孫は多く、無病である」。四月のあとに二月が来るのはおかしいので、二月八日は十二月八日の間違いだろう。四月八日は仏誕節(仏陀の誕生日)、十二月八日は釈迦牟尼成道を記念した成道節である。この特別な両日に仏像に向かってお香と花を供えるのは、仏の力を借りて無子の災いを取り除こうとしているのである。
明代の袁黄は『祈嗣真詮』で言う。子を求める者は「山川の英神、鬼神の霊にも祈り求める。どれからも力を得ている」。彼はこの書の中の「祈祷」という一篇にも、祈子呪法を並べ、自らこれらの呪法を試している。しかし袁氏が列挙する呪文には中国の神霊は含まれず、すべては仏典から採られたものである。